史跡・天然記念物
[2022年5月13日]
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昭和53年に発掘調査された古窯で、分焰柱を持ち、平安時代末~鎌倉時代(12世紀後半)のものだと推測されます。
灰原部は滅失していますが、窯は当時のままで、分焰柱の天井部が残り、山茶碗が窯に詰められた状態で保存されています。
知多半島では唯一の前方後円墳といわれており、また、阿久比川の沖積地に位置していることから、古墳時代中頃(5世紀)のものだと推測されます。
太平洋戦争時に、一部が畑として使用され相当な変形を受けました。阿久比の歴史を語るうえで重要な史跡です。
築城に関する資料は戦乱で残されていませんが、洞雲院を建立した久松定益が築城したと言われています。徳川家康の生母である於大の方が約15年間この城で過ごしました。
天正5年(1577)織田信長の家臣 佐久間信盛の手勢により城は焼失しました。
現在は城山公園となっています。
洞雲院の裏山の静かなたたずまいの中に、久松定益、定義、俊勝、於大の方、松平定綱の5基の墓があります。(写真は一部で左は松平定綱、中央は於大の方、右は久松俊勝の墓です。)
樹齢は不明ですが、安永3年(1774)に宮津熱田社が建て替えられたと伝えられており、それよりも前に植樹されたと考えられます。
現在も地域のシンボルとして大切に保護されています。
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