
熱田社へ勢いよく
曳き込まれる宮津南社山車 |
2月の寒い土曜日の夜、宮津地区熱田社の社務所に南組の法被を着た男衆が集まってくる。祭礼の会合を開くためだ。
祭りでは役割分担制の慣習が引き継がれる。年行司は山車運行の最高責任者。今年その大役を務めるのが新美康弘さんと畠山和孝さん。山車を曳く若衆たちをまとめ、陣頭指揮を執る。
「うちの組は団結力があります。みんなに協力してもらい楽しい祭りにしたいです。特に事故が起きないように気を付けます」と意気込む新美さん。「1年に1度、懐かしい顔に会えるのがうれしい」と話す畠山さんは現在常滑市に住み、山車を曳くために宮津へ戻ってくる。
「生まれ育った地元が好きだから、昔ながらの祭りのいいところを、次の世代へ残さなければ」。2人が口をそろえる。
南組に残る『南車山車永代帳』から、山車の建造は宝暦年間(1751〜1764)以前である。
正面梶棒上部の奥行きと厚みがある壇箱は、大人の目の高さに位置し、「大江山鬼退治」の精巧な彫刻で飾られる。遠州(現浜松市)出身で明治中期に活躍した増井時三郎の作。彫刻のもとになる下絵は岩滑村(現半田市)出身の絵師春耕が描き、南組に現存する。知多地方の山車で地元の絵師の下絵を使い、遠州の彫刻師がかかわるのは珍しいとのこと。
「南組のおくるまで見てもらいたいのは、やっぱり“金糸の龍”が刺しゅうされた水引幕かなあ。長老たちからは『大事にせにゃあかん、大切にせよ』と言われます」
祭り全体をまとめる大行司の新美五世男さんは、水引幕を自慢しつつ“組の宝”を守っていかなければならない大変さを話す。
山車の骨組みを隠すため、左右と後ろの堂山部分に化粧の幕が飾られる。全体を覆う幕を「大幕」、上部に取り付ける幕を「水引幕」と呼ぶ。
『南車山車永代帳』には、天保4(1833)年の項に「黒羅紗に龍縫付水引幕」と記載。黒い毛織物の上に龍が縫い付けられる。梶を切った瞬間、風圧で水引幕が浮き上がり、龍が動いているかのように見える。

南組のメンバー。中央は水引幕。 |
「白い水引幕は多いですが、黒は珍しいと思います。今にも飛び出してきそうな迫力のある龍は一見の価値がありますよ」
年代を重ね、傷みが激しい「水引幕の修繕」が会合の議題に上がる。社務所の外は折からの北風に乗って雪が舞い始めた。話は熱く語られる。
「次の世代へ残さなければ」
会合に集まった全員の強い思いが伝わってくる。
次回は大古根八幡社山車を紹介します。 |