☆阿久比谷虫供養の歴史
平安時代の良忍上人の教えから広まった虫供養も、天正5(1577)年坂部城が織田信長の家臣佐久間信盛の手勢によって焼かれると、治安悪化で中止に追い込まれました。
その後、戦乱が治まった江戸時代に再び行われるようになりました。宝暦6(1756)年には行事が永久に継続できるよう当番制と寄付制が設けられました。寛政7(1795)年には虫供養の道具などを紛失した場合には虫供養の仲間から除外するといった厳しい申し合わせが決められました。
明治時代には廃仏毀釈の影響で一時中止に追い込まれましたが、住民の強い声で復活しました。
現在の虫供養行事は、町内13地区の持ち回りで当番を受け持ち、当番になる地区では寒干し・土用干しをはじめ1年をかけ、9月23日(秋分の日)の虫供養当日を迎えます。当日は鉦や太鼓の音が響き、大道場では導師の先導で百万遍念仏が唱和され、大数珠が操られます。
供養場内に建てられた大塔婆の砂山は、乳幼児に裸足で踏ませると『かんの虫封じ』になり、健やかに成長できるという言い伝えがあります。
戦乱の世で何度中断しても、力強くよみがえった虫供養の歩みは、阿久比住民の心意気と誇りの象徴です。
- □問い合わせ先
- 社会教育課 TEL (48)1111(内262)
|