広報 あぐい
2008.03.01
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祭りばやしが聞こえる − 宮津北組山車(みやづきたぐみだし)編 −

 
江戸時代から南組と北組に分かれて“おくるま”を曳き回す、宮津熱田社の祭礼は4月の第3土曜日と日曜日に行われます。伝統的な慣習を引き継ぐ宮津の祭り。今回は宮津北組山車(みやづきたぐみ)を紹介します。

熱田社へ曳き込む宮津北組山車

後見(こうけん)におもいっきりたたかれて、背中が真っ赤に腫れ上がり大変なんっすよ」と宮津北組山車、後梶方(あとかじかた)担当の若衆が話す。

宮津地区熱田社に南組と北組の“おくるま”が()き上げられ、境内で「せり」と呼ばれるパフォーマンスが繰り広げられる。2台の山車が正面を西向きに、社に近い方から「(かみ)」「(しも)」と並び(隔年で両組入れ替え)、勢いよく前後に山車を曳く一連の動作が繰り返される。両組がダイナミックな動きを競い合うところからこの儀式を「せり」と呼ぶようになったという。

「仲のいい()れも梶を取ってますが、このときばかりは隣の組に負けたくないから力が入るっすよ」

騎手が馬にむちを入れるかのように、梶方に指示を出す後見が、梶棒を握る若衆たちの背中や尻をたたき、気合を注入。軽快な囃子(はやし)の音色とともに、山車2台のせりで「ガタガタガタ」と地響きが起こり、熱田社境内は砂煙のベールに包まれる。祭りは最高潮を迎える。

今年、宮津北組山車大行司(おおぎょうじ)を務める新海健一さんは「自分たちの“おくるま”が1番だという誇りを持ってます」と胸を張る。


青年会場に集まる
宮津北組山車保存会のメンバー

山車の顔とも言われる正面部分の壇箱(だんばこ)に「加藤清正朝鮮の役」、脇障子(わきしょうじ)に「源頼政鵺退治(みなもとのよりまさぬえたいじ)」の彫刻が施される。細やかな彫刻を得意とした瀬川治助重光(せがわじすけしげみつ)の作品で安政7(1860)年に彫られた記録が残る。

“幕はずし”は昔からの伝統を引き継ぐ行事。「からくり」と「三番叟」の人形一式を、北組は青年会場、南組は旧鞘蔵(さやぐら)(山車を収納する蔵)跡地の秋葉公園入口付近から梶方が担いで運び、「せり」を終えた山車に乗せて人形を奉納する。

北組山車の上山(うわやま)で「恵比寿(えびす)大黒(だいこく)唐子(からこ)」の主題でからくり人形が演じられる。人形方(にんぎょうがた)が糸を巧みに動かす。恵比寿が鯛を釣り上げ、大黒が(つち)を振り、宝箱が割れて中から唐子が登場。


からくり人形

前壇では「三番叟」が所狭しと踊る。3人の男たちに操られる人形のきめ細かな手の動きに、観衆の視線が集まる。

「おくるまを曳く勇壮な姿も見てほしいですが、視点を変えて、きめの細かい彫り物と人形の繊細な動きもじっくりと見てもらいたい」と新海さん。

青年会場で宮津北組山車保存会のメンバーが祭り談議で盛り上がる。

「祭りの日が近づいてくる雰囲気がうれしくてたまらないんだよね。笛の練習しながらいろいろな場面を想像するんだよ」。囃子方(はやしかた)を務める男性の表情が緩む。

次回は「宮津南社山車」を紹介します。



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