広報 あぐい
2009.03.01
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古窯調査報告まとまる

□問い合わせ先        社会教育課    TEL (48)1111(内262)

長頸三筋壺


注口

宮津・板山地内の古窯発掘調査報告がまとまりました。今回の調査で中世(平安時代末期)に作られたと推定される「長頸三筋壺(ちょうけいさんきんこ)」と「注口(ちゅうこう)」が見つかりました。知多半島の出土遺物の中でも希少で、町の文化財として、また学術的にも大変価値を持つものであると考えられます。

今回発掘調査を実施した宮津板山F古窯址群(Fは発見された古窯をアルファベット順に任意で付けた記号)は、阿久比町の東端、半田市の大矢知地区との隣接した小丘陵の尾根伝いに位置しています。

平成19年名古屋鉄道株式会社が施工した宮津板山土地区画整理事業の開発に伴い発見されました。同年12月22日から29日までの8日間、福岡猛志日本福祉大学教授を団長に町埋蔵文化財研究員と町教育委員会が発掘調査を行いました。

調査の結果、3つの窯を発見しました。窯に付着する焼土から年代推定を行う「残留磁化測定」では、1085年〜1330年(平安時代末期〜鎌倉時代)ころの窯であることが分かりました。ちょうど「阿久比谷虫供養」が始まったとされる時代に近いころだと思われます。

窯内やその付近からは、「(かめ)」「(つぼ)」「長頸三筋壺(ちょうけいさんきんこ)」「(わん)」「(さら)」などが見つかりました。甕に三ツ巴文(みつどもえもん)と三角形を組み合わせた「押印文様(おういんもんよう)」があることも分かりました。その中でも「長頸三筋壺」と「注口」は知多半島では、ほとんど出土例がありません。


宮津板山F古窯址群位置図

発掘調査を実施した現場は、現在整地されて窯跡を見ることはできません。

中世古窯から価値ある品を発掘


発掘の様子
長頸三筋壺

長頸三筋壺は、ほぼ完全な形を残したまま出土しました。色調は、上部が赤茶色、下部が灰色、器高は23.6cmの(つぼ)で、高さ5.5cm、内径5.4cmの細長い首の部分が特徴で、6段の輪状の粘土を積み上げて作られています。

何に使用された壺であるかは解明されていませんが、仏器(供え物を入れる器、仏具)の一つではないかと思われます。

注口

注口は、形状や大きさから推測すると、小型の壺の先に付いていて、内部の液体を注ぎ出すために使われたものだと考えられます。知多半島の古窯から注口の報告例は数点しかありません。今回見つかったものは、形や製造時期などが異なるタイプのものです。


押印文様


押印文様推定図
押印文様

出土した(かめ)三ツ巴文(みつどもえもん)と三角形を組み合わせた「押印文様」(写真と図)がありました。町内の古窯から巴文などの出土例はありましたが、このような2種類の文様の組み合わせは、ほとんどありませんでした。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

今回の調査結果は平成10年と11年に調査した宮津板山C古窯と合わせて、3月中旬に発行する『宮津板山古窯址群調査報告書』(社会教育課窓口で販売。価格は未定)にまとめてあります。

□問い合わせ先
社会教育課 TEL (48)1111(内262)

阿久比の窯業の歴史

知多半島の丘陵地帯にはたくさんの古窯が見つかっています。まだ山中に眠っているものも含めれば、少なくとも3,000基くらいはあったのではないかといわれています。

平安時代の終わりころから室町時代の終わりころまで、知多半島は窯業がとても盛んな地域で、阿久比にも多くの古窯の跡が見つかっています。中世の阿久比は、農業が盛んであったほかにも、工業地帯であったことが考えられます。

今回の宮津板山F古窯址群の調査は町内で88基目の発掘調査になります。「壺は何に使われたのか?」「文様の意味は?」「知多で生産された窯業製品は船で全国に運ばれたとされているが、阿久比の山中から港まで、大量で重い“製品”をどのように運んだのか?」など解明されていない謎が多くあります。

文献には出てこない謎解きを、先人が残した“モノ”から推理する必要があります。皆さんはどのように思われますか。想像をふくらましてみてください。



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