草木村は現在の阿久比町北西部に位置し、英比川の支流草木川が、中心を流れる盆地状の村でした。英比谷十六カ村の中では例外的に大野庄(現在の知多市南部 常滑市北部、阿久比の一部の地域)に属していました。
集落は、芳池川を挟んで北に「北ノ郷」、南に「南ノ郷」と大きく分かれ、それぞれのやや小高い場所に形成されていました。現在の姓からみると、北ノ郷にあたる集落には大野庄から住むようになったと思われる都築姓、平井姓が多く、南ノ郷には、緒川水野氏にかかわりのある竹内姓が多く見られます。
現在では、住宅がそれぞれの周辺の谷や平地に広がり、2つの集落の区別ははっきりしなくなっています。英比谷各村の藩への年貢米の輸送は、草木村を経由して大野村(常滑市)に出て、そこから船で名古屋まで運んでいました。
坂部村は現在の阿久比町のほぼ中央に位置する大字卯坂の北部です。村の東部に本田、西に丘陵地、中央部に集落や本田畑があり、川の東沿いにも坂部村跡があります。
民家は、村の中央部を南北に走る道路の西側に集中しています。この道路は、英比川にかかる橋を渡り、白沢村を経て名古屋へ通じる往来道でした。各地への道のりは、「名古屋へ八里、鳴海宿へ五里、横須賀村へ二里半」と記されています。
英比川にかかる橋は、「公儀橋」といい、藩が直接建設をする橋でした。田は排水が悪く、しばしば水害にあったため、米の取れ高も少なかったようです。農閑期には、黒鍬稼ぎや酒屋の杜氏に雇われ、生活の助けとしていました。
次回は「卯之山村・稗之宮村のはなし」です。 |