虫供養は阿久比谷虫供養保存会が所有する『英比谷供養縁起記』によると、知多出身で融通念仏の始祖良忍上人の教えが元になり、米作りや野菜作りで犠牲になった虫を供養するために念仏を行ったことが始まりとされ、平安時代の終わりころから阿久比でも行われるようになった民俗信仰行事です。通称「クヨ」と呼ばれています。
現在、町内13地区の持ち回りで当番を受け持ち、当番になる地区は掛軸や仏具などを寒干しや土用干しをして1年間大切に保管し、9月23日(秋分の日)虫供養本番を迎えます。
歴史
平安時代の終わりころから始まった虫供養は、天正5(1577)年坂部城が織田信長の家臣佐久間信盛の手勢により焼かれると、兵士たちに虫供養の掛軸や仏具などが奪い去られ、治安悪化で中止に追い込まれました。
その後、戦乱が治まった江戸時代に再び行われるようになり、宝暦6(1756)年には行事が永久に継続できるようにと「当番制」と「寄付制」が設けられます。この取り決めは掛軸の修復や仏具の修理や新調など行事を維持していく上で重要な意味を持ちました。
寛政7(1795)年には、虫供養の道具などを紛失した場合には仲間から除外するという厳しい申し合わせがされました。現在でも次の当番地区への受け渡しの際には、目録と道具などを一品一品確認する厳粛な方法が受け継がれています。
明治9(1867)年廃仏毀釈の影響で一時中止に追い込まれます。中止して2、3年田畑に害虫が発生し、農作物の不作が続き、悪病が流行しました。各地区から復活を求める声が高まり、再び虫供養が行われるようになり、現在に至っています。
昭和58年には東浦、知多、常滑とともに「知多の虫供養行事」として愛知県無形民俗文化財に指定されました。
何度中断しても力強くよみがえり、今日まで受け継がれた「虫供養」の歩みは阿久比の地に住む私たちの心意気と誇りの象徴です。 |