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2007.04.01 |
★公民館だより |
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★子どもに伝えたい あぐいのむかし(10) |
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弘治元(1555)年父は坂部城主久松俊勝、母は於大の方(伝通院)の次男として誕生。名は勝俊とも呼ばれました。江戸幕府初代将軍徳川家康は異父兄にあたります。 永禄6(1563)年9歳の時、家康の命令により当時敵対関係にあった、駿河国(現静岡県)今川氏の人質になりました。 永禄11(1568)年14歳の時、駿河国が武田信玄の侵攻を受け、今度は甲斐国(現山梨県)に人質として送られました。 元亀元(1570)年の冬、16歳の時、家康の手配で甲斐国から逃れる途中、両足の指を凍傷で失ってしまったと伝えられています。 天正11(1583)年29歳の時、家康より幼少からの忠勤をたたえられ、駿河国の久能城(現静岡県静岡市)を与えられましたが、3年後の天正14(1586)年に33歳の若さで亡くなりました。 康俊の娘婿には水野忠分の子松平勝政が迎えられました。その後、子孫は多古藩主(下総国、現千葉県)となり、旗本にもなりました。 康俊の墓所は静岡県浜松市の西来院にあります。 (一部『お大の方物語』から引用) |
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