広報 あぐい
2007.04.01
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公民館だより

 

吹奏楽講座を開催


阿久比町に吹奏楽団の設立を目指して吹奏楽講座を開催します。オーディションなどはありません。吹奏楽団設立の第一歩に参加してみませんか。

◇参加資格
吹奏楽に興味がある方で原則町内に在住、在勤、在学をしている方で15歳以上で中学校を卒業している方。
木管・金管・打楽器を持っている方
◇練習日
日曜日の午後6時から月2回程度
◇受講料
年3,000円
◇問い合わせ先
社会教育課公民館係 TEL (48)1111(内260)
 
 

阿久比町少年少女発明クラブ
指導員を募集


小学生などを対象に、ものづくりを通して科学的な考えや興味、関心を追求する場を提供し、技術の向上を目指しながら創造性豊かな人間形成を図ることを目的とする「阿久比町少年少女発明クラブ」の発足を計画しています。

全国で約200の発明クラブがあり、知多半島内でも現在3つのクラブが活動しています。

子どもに技術などの指導をしていただける方は、ぜひ応募してください。

◇問い合わせ先
社会教育課公民館係 TEL (48)1111(内260)

子どもに伝えたい あぐいのむかし(10)

 

戦国時代に阿久比で生誕した三兄弟

前回の長男「康元」につづき、今回は次男「康俊」を紹介します。

次男  松平(まつだいら) 康俊(やすとし)


三兄弟が生をうけた坂部城跡(現在城山公園)

弘治元(1555)年父は坂部城主久松俊勝、母は於大の方(伝通院)の次男として誕生。名は勝俊とも呼ばれました。江戸幕府初代将軍徳川家康は異父兄にあたります。

永禄6(1563)年9歳の時、家康の命令により当時敵対関係にあった、駿河国(現静岡県)今川氏の人質になりました。

永禄11(1568)年14歳の時、駿河国が武田信玄の侵攻を受け、今度は甲斐国(現山梨県)に人質として送られました。

元亀元(1570)年の冬、16歳の時、家康の手配で甲斐国から逃れる途中、両足の指を凍傷で失ってしまったと伝えられています。

天正11(1583)年29歳の時、家康より幼少からの忠勤をたたえられ、駿河国の久能城(現静岡県静岡市)を与えられましたが、3年後の天正14(1586)年に33歳の若さで亡くなりました。

康俊の娘婿には水野忠分の子松平勝政が迎えられました。その後、子孫は多古藩主(下総国、現千葉県)となり、旗本にもなりました。

康俊の墓所は静岡県浜松市の西来院にあります。

(一部『お大の方物語』から引用)



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