広報 あぐい
2007.01.01
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風は海を越えて

〜みんなの童話〜

 

信平はベランダに出た。眼下に広がる海は空の青とひとつになって、青くきらめいていた。
待っていたヨシキからの年賀状は来なかった。でも信平は、海を越えてくる風が、きっとヨシキの声を伝えてくれる、そんな気がしていた。
ヨシキが両親とブラジルに帰ったことを、信平が知ったのは、冬休みに入って2、3日過ぎた日だった。
なぜ、とつぜん帰ってしまったのか信平にはわからなかったが、ただ、(だまって行くなんて、あの時、死ぬまで友達だって約束したのに)と、無茶苦茶に腹が立った。


あの時、それは去年の夏のことだった。信平やヨシキたち5年生は、3泊4日の山の学習に出かけた。
その2日目のことだった。夕食が終わり、キャンプファイヤーまでは自由時間だった。
「裏山に上ろう」
信平はヨシキをさそった。キャンプ場の裏山には、20mほどの高さの、3本の細い滝が落ちていた。滝の下や川で遊ぶことはよかったが、裏山に上ることはかたく止められていた。
だからヨシキは反対した。でも信平はむりやりに承知させ、先生や友達に見つからないように、キャンプ場をぬけ出すと山に上った。
滝の上は、信平が想像していたような大きな川ではなかった。岩を足場にして越せる浅い谷川だった。
「よし、それなら探検だ」
信平はいやがるヨシキを引っ張って、杉林に入って行った。
事が起きたのは、杉林から山道に出た時だった。
「お、ヤマユリだ」
草むらに花を見つけた信平がかけ寄ろうとした。ところが木の根につまずいてひっくり返った。
前は谷だった。でもクマザサにおおわれていてわからなかった。
「信ちゃーん」
信平を起こそうとしたヨシキまで、いっしょに谷にずり落ちた。
周りは雑草でおおわれ、ほり井戸のような谷底だった。幸いに命は助かったが信平はうでを折り、ヨシキは足をくじいて、谷をよじ上ることはできなかった。
「助けてくれ!」
「谷底へおっこちたあ!」
ふたりはけんめいにさけんだ。でも、助けは来なかった。


山の日暮れは早い。日が沈むと夏でも寒い。わずかに月明かりのさす暗い谷底で、ふたりは寒さと痛みと、きょうふでふるえた。
「このままじゃ死んじゃう」
弱音をはき出したのは信平だった。そんな信平を、ヨシキは、
「がんばろな、きっと助かるよ」
とはげまし、助けを呼び続けた。
先生や村人に救い出されたのは、3、4時間も過ぎたころだった。
あの時、ヨシキがいなかったら…と、ヨシキをばかにし、いじめもしてきた信平だったが、どれほどこうかいし、心の中でわびたことだったろうか。


風がベランダを吹き過ぎて行った。正月とは思えない暖かい風だった。
ブラジルは遠い国だ。その国のどこにヨシキがいるのか、信平は知らない。
でも、海もブラジルに続いている。空もひとつだ。風も海を越えて行く。
「ヨシキ、新年おめでとう。ことしも元気でなー」
信平は、風がきっとヨシキに声を届けてくれる。そして、いつか必ず会える。そう信じ、遠い水平線を見つめた。

寺沢 正美
阿久比創作童話の会「しろやま」講師



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