広報 あぐい
2006.10.01
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あぐいぶらり旅 〜村絵図を歩く(卯之山村 後編)〜

シリーズ 阿久比を歩く 37

 


卯之山村絵図
(阿久比町誌資料編1村絵図解説書から)


「かんの虫封じ」のために
積まれた柄杓(最勝寺境内)


地蔵尊石像

〈前編から続く〉

下之池に着く。“おおしいつくつく?”とセミの声が響く。

しばらく池を眺める。友人が「今日は白ウサギが現れて、私たちに豪華プレゼントを運んで来ないですかね」と真剣な顔をして私に言う。「多分来ないだろうね……」。会話が途切れる。

池のほとりに役行者(えんのぎょうじゃ)の石像がまつられる。昔からこの地区の若者は、奈良県の大峰山へ山岳修行に徒歩で出掛けたことが石碑に記されている。1匹の赤トンボが石碑に止まり羽を休めた。池の周りには気持ちよさそうに、たくさんの赤トンボが飛んでいる。再び2人で池をぼんやりと眺めた。

阿久比スポーツ村の方へと歩く。1回りして、雑木林を通り東へ向かう。途中の畑には大きなトウガンがごろごろしているのが目に付く。草取りをする女性と目が合い軽く会釈を交わす。

舗装された道に出る手前で“お地蔵さん”を見つける。石像の地蔵で、背後にコンクリートで三角の屋根が作られているが、雨風はしのげず、野ざらし状態になっている。ペットボトル2本に花が供えられ、胴体は布が巻かれている。いが栗が転がっていたので拾って供える。一人ぼっちの“お地蔵さん”の表情はどこか、さみしそうに見える。(後に地元の人に聞いた話では、地蔵尊には「右くさぎみち」「左大のみち」と刻まれ、草木地区と常滑市の大野へ行く道を示す、道しるべの役割を果たしていたそうだ。)

最後に最勝寺を訪れた。稗之宮村絵図を歩いたときに(くつわ)井戸を探した。源義朝の家臣、渋谷金王丸が馬の口に付けたと言われる轡を保管している寺である。

野間で殺害された、義朝の首を取り返そうと金王丸は京に向かうが、馬が病で倒れ進むことが出来なくなる。轡を井戸で洗って「古見堂地蔵」に献じると、馬の具合が良くなり、再び京を目指したという伝説が残る。「古見堂地蔵菩薩」は最勝寺の本尊。境内西の本堂に安置され秘仏となっている。

建物の中にたくさんの柄杓が積まれている。「子どものかんの虫封じのために奉納する柄杓です。口伝えで皆さんが祈とうにきますよ」と住職が教えてくれた。

「かんの虫封じって何ですか」と友人が尋ねてきたので、私は「腹の中にいるバイキンマンを退治することだよ」と笑って答えた。



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