矢口村は、現在の矢高の北部です。民家は、村の東に集まり、周りには、竹やぶが茂っています。亀崎山や楪池の付近には、新田開発にともなう集落がありました。
山林が多いので、農閑期には柴や薪を近村へ売りにいき、生活の助けとしていました。また、黒鍬稼ぎに15人ほどが出掛けていました。瓦職人が1人、それを手伝う者が6人ほどいて、関西方面まで出掛けていました。
村の西部の亀崎山には、たくさんの柿の木があり、その実を酒屋に売っていました。酒造りの過程では、じょうぶな袋が必要で、柿の渋を木綿の袋に塗ると袋がじょうぶになるといわれていたからだそうです。
高岡村は、現在の矢高の南部です。民家は、村の東にある丘陵地の付近に集中しています。田畑の多くは村の中央を西から東に流れる前川沿いに広がっています。この辺りは排水が悪いため、前川の川底に長さ約33mの伏越水筒を通して、角岡村の田に水を流していました。
農閑期には、商売をする者が2人ほど、黒鍬稼ぎに出掛ける者が数名いました。瓦職の手伝いをする者が3人ほどいて、関西方面まで出掛けていました。
次回は「植村・大古根村のはなし」です。 |