広報 あぐい
2009.11.01
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あぐいぶらり旅 
〜石造物を巡る(坂部・卯之山コース 3)〜

シリーズ 阿久比を歩く 111

 



「虫封じ」に使われた“ひしゃく”



最勝寺入口を知らせる“虫封じ霊場碑”


城山公園を訪れる。公園の横には町立図書館が建つ。阿久比町文化財調査報告書では、かつて城が建っていたいわれや、久松家ゆかりの場所であることが記された「城山公園碑」、「阿久比古城跡碑」、「久松勝成公手栽松標碑」、「英比大明神」の4つの石造物が紹介される。

於大の方は徳川家康を生んだ後、天文16(1547)年阿古居あぐい城主久松俊勝と再婚。桶狭間の戦いを控えた永禄3(1560)年、家康は幼くして離れ離れとなった母に会うため、阿古居城に立ち寄ったと言われる。

「ここで、家康と於大の方が涙した場所なんだろうね」と私が友人に話し掛ける。友人は「NHK大河ドラマ『天地人』の家康は、すごく憎たらしい人物ですよね。家康ファンの僕としては毎週テレビの前で考えさせられちゃいます」と力む。「作家によってはいろいろな描き方があるよ。いつもニヤニヤしているけど、君は意外と熱い男だなあ」と友人をなだめながら公園を後にする。

県道名古屋半田線を南へ少し行くと「虫封じ霊場碑」が見えてきた。高さ2m、幅1mほどの巨大の石に「むしふうじ霊場」と記され、最勝寺を案内する石碑となっている。

最勝寺には「古見堂地蔵」がまつられ、地蔵にまつわる伝説が残る。

ー平治2(902)年、野間で殺害された源義朝の家臣“渋谷金王丸しぶやこんのうまる”は、主君義朝の首が京に送られるのを知り、首を取り返そうと京に向かうが、馬が病に倒れ進むことができない。くつわを井戸で洗い「古見堂地蔵」に献じると、馬の具合が良くなり、再び京を目指したー

地蔵に祈願すると病気が平癒したいわれから、最勝寺では子どもの“かんの虫封じ”が行われる。

柄杓ひしゃくの底に「鬼」と書き、古見堂地蔵の前で祈願したものを家に持ち帰り、7日間「鬼」の字の中心部分にきゅうを据え、再び柄杓を寺に納めると子どもの“かんの虫”が封じられるとのこと。

「どこからか話を聞いて、今も虫封じ祈願にくる親御さんが見えますよ」と住職が話す。本堂から少し離れた小屋に、高く積まれた柄杓の山が、子を思う親の気持ちを物語る。

「寺で蚊に刺されました。僕も虫封じをしたほうがいいですかねえ」。「次回から出掛ける前に、虫除けスプレーをしてきてくれたまえ」。



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