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2016.01.01


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新美南吉の創作活動に学ぶ

〜みんなの童話 番外編〜

私は南吉の生涯とその文学に魅せられ、永くかかわってきたということもあり、創作童話の会「しろやま」の合評会の講師を引き受けさせていただくに当たっては、南吉がどのような想いや考えをもって童話や物語、詩等を書いてきたか、ということを中心にして、講座を進めさせていただきたいと思い、月々の会を行ってきました。

南吉の生涯は、二十九歳と七か月という短いものであり、本格的に創作を行った期間は、わずか十数年に過ぎませんでした。にもかかわらず、南吉は、「世界の名作といわれる名作は渉猟しょうりょうしよう」と日記に書いているように、日本の文学はもとより、世界の文学、哲学、宗教書等々を読み漁り、彼独自の児童文学論をもって、作家としての生涯をつら抜いた人だったのです。

では、ここで、改めて南吉の児童文学への想いをまとめさせていただきますので、会員の皆様とともに、これから童話や小説等を書いてみたいと思っておられる方々も創作活動の糧にしていただければ幸いです。

まず第一に、南吉は、物語を読むこと、そして書くことが好きで好きでたまらなかった、ということです。

父親が雑誌みたいなものばかり読んでいてはいけない、と言うのに対して、「自分は只雑誌などが面白い為に読むのではありません・・・本当は将来の為に読むのです。どうしても好い文を書くには沢山読まなければ駄目です。・・・」、「・・・小説を止めることは腕をもぎとられる様に辛い事だ。」「単行本、雑誌が手許になくなったので何だか淋しい。」等と中学時代の日記に記しています。

次(第二)に、児童文学は、物語性が豊かでなければならない、ということ。

安城高等女学校時代の評論「童話に於ける物語性の喪失」の中で、南吉は、子供の読む物語は、とにかくまず面白いものでなければならない、ということを書いており、この点については、石井桃子さんなどが「子どもと文学」の中で高く評価し、南吉は宮沢賢治に匹敵する作家であると言っているのです。

次(第三)に、子どもの視点、子どもの感性を大切にして書くこと。

代表作「ごん狐」や「手袋を買いに」に見るまでもなく、南吉作品は、子どもの視点・感性というものが、実に見事に生かされ描写されているといっていいでしょう。

この点については、東京外国語学校時代の評論「外から内へ―或る清算」にファーブルの「昆蟲記」を例に引き、昆虫の感覚と子どもの感性を対比させ見事に描いています。この論で注目すべき一点は、昆虫の感覚や子どもの持っている感性というものに一つの理念を与え、それを整理するものとして、私たち作家としての大人の存在が大切なのだ、と言っているところです。

次(第四)に、自然や人間に対する深い観察眼や観照眼を常に養い研くこと。

次(第五)に、登場人物が個性的であること。

平凡な人間の内に潜む、意外性、非日常的なもの、神性、仏性、魔性、無意識の世界等にも目を向けてみることの大切さ。

その他、南吉文学にとって重要なテーマに神と仏とともに「愛」があります。

「ストーリーには悲哀がなければならない。」自分は「悲哀を愛に変えて書いていくのだ」と言い「愛」を「僕の生活の方向とし意義としよう。」とも、中学時代に書いています。

「よのつねの喜びかなしみのかなたにひとしれぬ美しいものゝあるを知っているかなしみ、そのかなしみを生涯うたいつづけた」と南吉は死の前年に書き残して逝きました。

こうした南吉文学の根底には、「人間とは何か」「人間いかに生きるべきか」といった普遍的な問いが秘められている、といっていいでしょう。

阿久比創作童話の会「しろやま」講師 矢口 栄