広報 あぐい
2010.05.01
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十六の春 〜母〜

〜みんなの童話〜

 

 わたしは、高校生になり、やっと十六になれると思いました。
 わたしは、小さいころから母には口答えをしませんでした。そんなわたしを母は、『素直ないい子です』と、だれにでもじまんしていました。
 母にそう言われて、別にいやな気はしませんでした。なんでも言われたことをしていれば、困ることはなかったからです。
 学校の行事にも地域のイベントにも参加しました。可もなく不可もなくふつうに過ごし、ごくふつうの女の子でした。
 そんなわたしにかまわず、季節は毎年移り変わっていきました。
 ところが、中学卒業を間近にしたころ、日めくりの言葉に、わたしは気付きはじめていました。
 雪どけの冷たい水を見つめると、こころにつきささるものを感じました。
(この感じはなんだろう)
 そう思うと、今までの自分は何を思っていたのだろうと思い始めました。
『今までの自分』と、何度も言ってみました。すぐに答えは見つかりません。自分ではいくら考えてもわからない気がしました。
 迷い始めたら、高校に行く目標も見つからなくなりました。
 進学することも、苦痛になってきました。勉強が嫌いなのではありません。解ることは楽しいことです。だから、上の学校に行くのか…。迷い出した思いは止まりませんでした。
「いやなことを嫌と言える」
 言葉にするには、勇気がいりました。
『高校へ行くことは大切なこと』と、思い切って母に聞いてみたら、「もちろん進学よ。いまさら何を言い出したかと思ったら」
 母はそう言い、面談の書類を書きました。
 わたしは、おそるおそる先生に渡しました。先生は当たり前の顔をして受け取り、面談の日にち割りを決めました。
 ついにその日が来ました。わたしは朝から上の空で、不愉快な気分は消せませんでした。
「わが家では、代々この学校に入ります」
 母は、進路相談の三者面談で急に言い出したのです。
「えっ、わたし聞いたことないよ」
「わが家の子です。先生、それで進めてくださってかまいません」
 初めて反論をしたわたしに、母はきっぱりと言い放ちました。
 その帰り道、わたしは家に着くまで、一言も話しませんでした。
「おかあさんなんてきらい」
 家に入るなり、そう言うのが精いっぱいでした。
(おかあさんなんて、おかあさんなんて、わたしの気持ちなんかわかっていない)
 自分の部屋でもんもんと思い悩みました。
(おかあさんは、いったいわたしの何を見てそう言うのか)
 自分でもわからないことを、さらさら言う母が、今までと同じとは思えない気がしました。
『いっそ学校がなくなればいい』
(自分自身が怖い。助けて…)
 自分の思いに、歯止めがききませんでした。心臓の音が、バクバクと悲鳴をあげ、震えていました。
 いよいよ、入試の日になりました。試験はできました。が、気持ちは晴れませんでした。
 卒業式のとき、校長先生の式辞の中で、気になることばがありました。
《これからは、たとえ違う制服を着ても、たがいに自分のことばで話してみよう。自分の良さも人の良さをも、見つけられるだろう》
 高校は淡い水色の制服です。かれんな少女を思わせる色だそうです。わたしは四月からその制服を着て、春がすみの中を通学しています。部活もサークルも自分で選びました。
 これからは、勇気を持って、『自分のことばで話そう』と、思っています。

しろやま会員 かどまさこ 



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