卯之山村は現在の阿久比町中央部に位置し、現在の大字卯坂の南部になります。
東西に細長い村で、東部を北から南に英比川が流れています。集落は、英比川の西側の丘陵地に南北に分かれて形成されていました。田は、川の東西の平たん地に広がっていましたが、谷間も開墾されて水田になっていました。
この村では、米をはじめ、麦、大根、そばなどを作っていましたが、農家の生活は苦しく、出稼ぎが盛んでした。出稼ぎの中でも土木作業などを行う黒鍬稼ぎに出るものが最も多かったようです。黒鍬稼ぎは、田畑を作ったり、石積みをしたりするなどの重労働が多く、三河山間部や遠くは静岡県まで出掛けました。農閑期の重要な収入源として、大正時代初期まで続けられました。
稗之宮村は現在の大字阿久比で東西に長い村でした。
村の北側を殿越川が西から東に流れ、東の村境を流れる英比川に合流しています。民家は、主に氏神(阿久比神社)の東を通る道路と氏神の西を通って椋岡地区へ抜ける道路に挟まれた丘陵地に集中していました。田は、英比川の東側の平たん地と横川沿いに、集落を包むように広がっていました。
現在の地図と村絵図を重ねてみると本田、新田の大部分が一致しているので、天保12(1841)年までにはすでに開墾されてたことがわかります。しかし、戸数に比べて耕地が少ないので矢口村、高岡村で小作をする者もいました。
次回は「椋原村・角岡村のはなし」です。 |