明治4年に行われた廃藩置県の結果、知多郡をのぞく尾張が愛知県となり、三河と知多郡が額田県となりました。翌年、明治5年には額田県と愛知県が合併して現在の愛知県ができました。
この年、明治政府は、それまでの庄屋・名主・年寄などを廃止して大区・小区・戸長の制度を作りましたが、昔からある村々の仕組みや、つながりと食い違いが大きくうまく運営できませんでした。
明治17年に区を廃止して郡区町村を設置しました。全国で町村合併が盛んに行われましたが、阿久比では12の村に分かれました。さらに明治21年に「市制・町村制」が施行され町村合併が進められて、知多郡でも89町村が64町村に統合され、阿久比は明治22年、12村が3村にまとめられました。
阿久比各村の合併、分離は複雑な経過をたどりました。江戸時代から「英比谷十六カ村」といわれ、阿久比川の両側の山すそに転々と集落を造っていた各村は、もめごとも多く簡単には合併とはならなかったようです。
明治39年に県下一斉の大規模な市町村合併が実施され、阿久比でも3村が合併し「阿久比村」となりました。
その後昭和28年に町制を施行し、「阿久比町」が誕生しました。今年は町制施行55周年の記念の年です。 |