広報 あぐい
2008.04.01
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祭りばやしが聞こえる −大古根八幡社山車(だいごねはちまんしゃだし)編 −

 
大古根地区の祭礼は4月の第3土曜日と日曜日に行われ、八幡社周辺で山車を曳き廻し、三番叟(さんばそう)の奉納も行われます。今回は間もなく本番を迎える大古根八幡社山車(だいごねはちまんしゃだし)を紹介します。

前壇で演じられる
かくれ遣いの三番叟

「平成元年のオアシス大橋開通式渡り初めで、隣に並ぶ山車の高欄(こうらん)周りの彫刻が立派でうらやましかった」と話すのは、大古根八幡社山車修復委員長を務めた新美昭弌さん。

山車の2階部分には「高欄」と呼ぶ四隅や正面に人が座れる場所が設けてある。現在の祭りでは曳き廻しの際に上山を電線などの障害物から守る「山上(やまうえ)係」が座る。その高欄は四方を欄干が囲む。

主要部分の彫刻は横松大工岸幕(がんまく)一族の岸幕角三郎(がんまくかくさぶろう)が江戸末期から明治初めに彫った作品が大部分を占めている。檀箱の「力神」の力強さは、ほかの山車に比べても見劣りするものではない。

大古根八幡社山車保存会を中心に「高欄周りに彫刻群を施し、より立派な“おくるま”に」という考えは長年の懸案事項であった。平成2年10月に八幡社山車が町指定文化財になったのを機に「山車修復委員会」が立ち上がる。140年ぶりとなる大掛かりな山車の修復作業は、平成2年から6年までの5年間続いた。

山口県の彫師有馬白匠氏に高欄周りの彫刻を依頼。正面に「龍」、右側に「松と鶴」、左側に「竹と虎」、背面に「梅と(うぐいす)」の作品が平成4年2月に完成。

「山口県から毎日のように電話が掛かってきたなあ。朝昼晩、時なしに掛かってくるんだよ。電話の前から離れられなかったよ(笑)。そのかいがあって、自分たちの納得できる作品を造ってもらえたよ」と新美昭弌さんは当時を振り返る。

山車の装飾に力を入れてきた一方で、三番叟人形の踊りの伝承にも力が入る。

人形はからくり人形師8代目玉屋庄兵衛(たまやしょうべい)が制作。小学5年生と6年生が三番叟人形を山車の前壇で操る。5人でチームを組み「かくれ遣いの三番叟」を演じる。大人でなく子どもが、からくり人形を操るのは珍しいとのこと。


祭り本番を控え、囃子の練習に
力が入る若手囃子方のメンバー

自らも子どものころ三番叟を操り、現在指導に当たる八幡社山車保存会長新美庄司さんは「老若男女、誰でも参加できるのがうちの祭りです。教科書はありません。私たちが教えられてきたことを、子どもたちに伝えていくことが祭りに携わるものの使命じゃないですかねえ」と笑顔で話す。

山車は前祭に108個の提灯(ちょうちん)が飾られる。提灯に火の入った山車が曳き廻される姿は、幻想的な雰囲気を醸し出す。盛り上げるのは優雅な囃子(はやし)の音。夕暮れには「見せる祭り」を演出する。

祭り本番を前にして大古根公民館から笛や太鼓の音が響く。年間を通して練習を続ける若手の囃子方もこの時期は特に力が入る。「先輩たちが作り上げてきた山車。私たちがより立派なものにします」。力強い言葉が返ってきた。



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