戦国時代に阿久比で生誕した三兄弟
戦国時代、阿久比の坂部城で生をうけ、後にそれぞれが全国各地で活躍した三兄弟を知っていますか。
彼らは、坂部城主・久松俊勝と於大の方の長男「康元」、次男「康俊」、三男「定勝」です。そんな彼らを今回から全3回で紹介します。
長男 松平 康元
天文21(1552)年父は坂部城主久松俊勝、母は於大の方(伝通院)の長男として誕生。幼名は勝元。江戸幕府初代将軍、徳川家康は異父兄にあたります。
永禄3(1560)年5月、今川義元の人質として、駿府から京都を目指し西征中、坂部城を訪れた異父兄の松平元康(後の家康)は、生母・於大の方と感激の再会を果たします。勝元が八歳の時でした。
元康は勝元はじめ異父弟たちを大変かわいがり、勝元は元康から一字をもらって「康元」に改名しました。それと同時に松平姓を名のることを許されました。(感激の再会の数日後、織田信長の奇襲にあった今川義元は桶狭間の戦いで戦死。元康は於大の方の計らいにより無事岡崎城まで帰還できたと伝えられています。)
天正18(1590)年康元38歳の時、落城後の小田原城の守備にあたり、同年下総国(現在の千葉県)関宿藩2万石、翌天正19年には4万石の所領を与えられました。
慶長5(1600)年康元48歳の時、天下分け目の関ヶ原の戦いでは、家康の代理として江戸城の留守居役を務め、重責を果たしました。
慶長8(1603)年康元死去。享年52歳。墓所は千葉県野田市の宗英寺。
若いころは異父兄の家康と共に戦に明け暮れる毎日でしたが、晩年は落ち着いた日々を過ごしたと伝えられています。 |