広報 あぐい
2006.12.15
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あぐいぶらり旅 〜伝説の地を歩く(柳審城)〜

シリーズ 阿久比を歩く 42

 



柳審城があったとされる秋葉神社付近



秋葉山から一望できる景色


宮津地区の秋葉山(現在の秋葉神社付近)に“柳審城(りゅうしんじょう)”と呼ばれる城があった伝承が残る。

元寇の役で殊勲を立てた新海淳英(あつひで)が築城した柳審城は、天文12(1543)年7月、水野軍に取り巻かれ四面楚歌の状態。

時の城主新海淳尚(あつひさ)は家臣らを前にして

「『そなたたちの忠節、わしは忘却せぬ。しかしながら、わしの身はどうなってもよいが、そなたたちだけは生き延びてもらわねばならぬ。ご先祖様には申し訳なきことながら、城よりもまず人じゃ。ひとまず恥を忍んで、野に再起の日を待とうではないか』

声涙共に下る主君の決意に、城中の将兵はみな泣きました。

こうして、永い伝統を持つ柳審城は火炎に包まれ、その跡は、むなしく夏草が生い茂るのみとなりました。(阿久比の昔話 第20話『柳審城の落城』から)」。

柳審城跡へぶらり旅に出掛けた。宮津熱田社の前を通り、光西寺の方へと歩き、東に向かう。少し行くと秋葉神社の入口に着く。

目的地を目指し、長くて急な石段を上る。運動不足の私たちには結構きつい石段だ。息が切れる。

頂上ではモミジが紅葉して美しい。薄暗い森の中に社がひっそりと建ち、北側は公園となっている。城跡といっても城が建っていた形跡は全くない。ただ、西側を望むと町が一望でき、山城を築く場所としては最適だ。

公園でグラウンドゴルフの練習をする男性に、城について尋ねると「城があったらしいということは、聞いたことがあるよ。昔からこの辺りは私たちの遊び場だったからね。お城なんて意識したことないなあ」と答えてくれた。

柳審城について町誌などの解説からは、残されている文献が少なく、詳しいことはよく分からないと説明されている。

「昔話では柳審城は落城してしまいますよね。一国一城の主は、いろいろなものを守らなければいけないので大変ですね」と友人が話し掛けてきたので、人生の先輩として私は「大変だけど楽しいこともある。君もいっこく者をやめて、早く一国一城を築いた方がいいぞ」と助言をした。



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