広報 あぐい
2006.11.01
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あぐいぶらり旅 〜村絵図を歩く(草木村 後編)〜

シリーズ 阿久比を歩く 39

 


草木村絵図
(阿久比町誌資料編1村絵図解説書から)


現在は畑となっている浄土寺跡



草木城跡だったとされる場所から眺めた景色


前編では、草木村絵図にある3つの寺のうち、正盛院と竜光寺跡を訪れた。今回は、最後の1つ浄土寺と草木城があったとされる場所を探しにぶらり旅を続けた。

阿久比町誌村絵図解説書に、浄土寺は「正盛院の開創と同時に正盛院末寺となったが、明治20年(1887)には南知多町豊浜小佐に寺を移して廃寺となり、跡地は現在、畑となっている」とある。村絵図には芳池川沿いに「寺」の表記があるので川の周辺を歩く。
耕運機で稲刈りの終わった田を耕す男性がいたので声を掛けて、浄土寺のことについて尋ねてみる。西の方を指差して「家の後ろにハウスがあるだろ。あの辺りの畑が寺だったらしいよ。わしらが若いころには“若衆蔵”があって草木の西側に住む若者が集まって祭り太鼓の練習や芝居を楽しんだなあ」と話してくれた。

解説書通り、浄土寺跡地は畑になっていることが分かったので、教えてもらった場所に向かう。

家の前で収穫したばかりの籾を、天日干しするおばあさんがいたので、再び寺のことを尋ねる。先ほどの男性と同じ話が返ってくる。その場所を案内してもらう。

おばあさんは「この辺りはよくマムシがでるよ。昔から捕まえていた癖で、ここを通るときはいつも下を向いて歩いているんだよ」と笑いながら話す。友人はなぜか私の後ろを歩き、いつもニヤニヤしている顔がこわばり、口数が少なくなる。

現場は畑となっている。「イモが植わっている所まで蔵だったかなあ」と、説明してくれる。寺や若衆蔵があったという形跡は残っていない。

最後に草木城跡を探す。芳池南の小高い丘の上で、現在の上竹林、下竹林付近という手掛かりをもとに歩を進める。

「あの竹林の丘、あやしくありませんか」と、いつものニヤニヤした顔で友人が言う。民家の敷地を通らなければ行けない場所なので、家を訪ね事情を話す。「皆さん城があった場所だと言って見に来ますよ。どうぞ見てきてください」と、快く女性が応じてくれる。

最終目的地に着く。小高い丘から見る眺めは絶景で下界は城下町。2人は殿様になった気分で腰に手を当て、しばらく高笑いを続けた。



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