広報 あぐい
2006.09.15
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あぐいぶらり旅 〜村絵図を歩く(卯之山村 前編)〜

シリーズ 阿久比を歩く 36

 


卯之山村絵図
(阿久比町誌資料編1村絵図解説書から)


ハスが並ぶ弘誓院境内


筆塚の石碑

1,200年ほど前(弘仁年間)、比叡山を開いた伝教大師(最澄)は、教えを広めるため全国行脚をする。

あぐいの郷にも立ち寄り、池のほとりにさしかかると、池の中央から金色の光が立ち昇り、どこからともなく現れた白兎しろうさぎが光めがけて飛び込み、1寸7分(約5cm)の阿弥陀仏を口にくわえて、大師の前に運んでくる。

その出来事を帝に話す。帝は大変喜び、池のほとりに勅願寺を建て、兎養山とようざん長安寺と名付けるよう命じる。(「阿久比の昔話」“兎の運んだ仏様”に詳しい。)卯之山の地名は兎養山の山号にちなみ「兎之山うのやま」と呼ぶようになったと伝わる。

今回はその卯之山村絵図を見ながらぶらり旅に出掛ける。まずは卯之山村の名前の由来が深い、兎養山弘誓院を訪れる。

境内入口には書道の上達を願い、使い古した筆を供養するために建立された 筆塚 がある。石碑の筆塚は見上げるほど背丈が高い。私も友人も筆無精。筆まめになれるようにペンを筆塚の方にかざし、頭を深く下げる。

副住職とお庫裏さんに話を聞く。兎養山長安寺として伝教大師が建立したと伝わるこの寺は、もともと天台宗ということもあり、織田信長が比叡山延暦寺を焼き討ちした時代に、何度も兵火で焼失したらしい。

昔話に出てくるウサギがくわえていた仏はどこかに残っているのか尋ねる。「本尊の阿弥陀如来の胎内仏で、信長の命令で寺が焼かれてしまったときでも、この仏さんだけは、戦火から逃れることができたらしいですよ」。しばらくして、渋い顔をして「本尊修復の際に胎内を見たときは空洞になっていて、仏さんを見ることができませんでした」とお庫裏さんが教えてくれる。伝説の仏は、どこに行ってしまったか分からないと言う。

金色の光が立ち昇ったと言われる池は、村絵図に記された「下之池」ではないかと聞いたので、次に池に向かうことにする。

木陰に入ると、風はさわやかな秋風。ツクツクボウシの鳴き声が響く。「おおしいつくつく」と聞こえますよねと、友人が言う。「そうかな、ちくちくぼうしと聞こえるけどなあ」。たわいない話をして歩を進める。(「広辞苑」には7月末から9月末まで「おおしいつくつく」と鳴くとある。友人もたまにはまともなことを言う。少し見直した。)

次回へ続く。



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