
地区内を練り歩く「横社山車」 |
「感激して涙が止まらなかったよ。男泣きだったなあ」。「わしは、梶棒を持つ手が震えたよ」。白髪交じりの横社山車保存会のメンバーらが山車の引き廻しが復活した日のことを思い出す。
昭和34年9月26日の夜、伊勢湾台風は中部地方を横断し、阿久比町にも大きな災害をもたらす。それまで、毎年神明社の祭礼で行われていた横社山車の曳き廻しも、台風以降中断を余儀なくされた。
横松地区からは優れた堂宮大工(神社や仏閣の建築を主とする大工)を輩出している。江戸時代から「横松大工」と呼ばれ、岸幕家と江原家の2つの家系は、知多地方の山車造営に欠くことのできない存在。この地区は匠(たくみ)たちの“ふるさと”でもある。
「楽しかった山車の曳き廻しを子どもたちにも」との思いから、山車造り技術の伝統を持つ地区の大工職人などの手により、昭和58年「子供山車」が造られる。
子供会が中心になり、春祭りで「子供山車」が横松地区内を曳き廻されるようになったものの、昭和34年まで曳き廻された山車は公民館横の収納庫で眠った状態を続ける。
虫供養の当番が回ってきた平成元年に、囃子の稽古を行う有志の間で「山車復活」の話が盛り上がる。
平成4年2月、「横社山車」が町指定文化財になったのを機に、山車曳き廻し再開の機運は頂点に達する。“復活”に向けて一丸となった横松地区。その熱意がついに実る日を迎える。この年の11月に行われた町制40周年記念事業「山車まつり」で、33年ぶりの曳き廻しが復活。翌年の春には地区内を、山車が勇壮に練り歩く姿がよみがえった。
傷みの激しかった三番叟人形も、近郊の祭りの人形を参考にしながら、自分たちの手で新しく作り直された。「いったんすべてのものが途絶えてしまい、本当にゼロからのスタートでした。山車が曳けない、つらい思いは2度としたくありません。次の世代に引き継ぐためにも、子どもたちには祭りの楽しさを教えています」と横社山車保存会長の山本茂一さんは話す。
横松公民館内の壁には、山車の前に並び、記念に撮った集合写真が年順に飾られる。
「年々写真に写る人の数が増えているでしょ。うちの祭りは裏方さんも入れて全員で写真を撮るんです。みんないい顔をしているでしょ」
祭りが終われば、新しい写真がまた1枚増える。横松地区のかけがえのない宝かもしれない。

平成19年 横松祭礼
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町内5台の山車を紹介してきた「祭りばやしが聞こえる」の連載は今回で終了します。 |