おせんぼのはなし

多くの人でにぎわう洞雲院門前
(昭和50年) |
おせんぼ(観音懺摩法会)は徳川家康の生母於大の方の悲願により洞雲院(坂部)で行われる行事です。
昭和22年までは旧暦の2月16日に行われていましたが、現在は新暦の3月16日に行われています。
於大の方は享禄元(1528)年刈谷の緒川城主水野忠政の娘として生まれました。天文10(1541)年14歳のとき岡崎城主松平広忠に嫁ぎ、翌年竹千代(のちの家康)を産みました。しかし、政略により17歳で離別、天文16(1547)年20歳で坂部城主久松俊勝に再嫁しました。
永禄3(1560)年33歳のとき、19歳の元康(のちの家康)と坂部城で再会を果たします。
“おせんぼ”は薄幸な子元康に心を痛め、若き日からの自分の苦難の道を思うに、戦国の女の悲しみが2度とおきないようにと発心し、「血書阿弥陀経」を写経して、法会を営んだことが始まりだと言われています。
昔は、おせんぼの日になると、洞雲院の門前や境内には植木屋、茶碗屋、菓子屋など露天商が立ち並びにぎわいました。戦前までは若い男女の見合いの場所でもありました。
現在のおせんぼは露天商もなくなり、地区の人々が参列して法要が静かに営まれています。
(参考 阿久比町誌資料編8「民俗編」) |