
草木村絵図
(阿久比町誌資料編1村絵図解説書から)

正盛院山門

「八幡森」と記されている現在の八幡神社

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10月の最初の日曜日、草木村絵図を見ながらぶらり旅に出掛けた。
天候はあいにくの雨。頭を垂れる黄金色の稲穂に、雨粒がいっそうの重みを加えている。田んぼの土手には彼岸花が咲き、季節はすっかり秋。
秋の景色を眺めながら、最初に「八幡森」と記された場所を訪れた。現在この地区の氏神に当たる八幡神社である。
この神社には、織田信長の家臣前田利家が桶狭間の合戦で今川義元に勝利した後、「わが身の運が良かったことのお礼」にと刀1本と幡1片を寄進した記録が残っているらしい。阿久比の地には、歴史上に名を残した人物が意外にも多く訪れていることに驚かされる。
草木村絵図には3つの寺が記されている。阿久比町誌村絵図解説書には東から正盛院、竜光寺、浄土寺とある。「八幡森」の近くに記されている「寺」、正盛院を訪れる。
山門をくぐると、きつい匂いが鼻を刺激する。右手には立派なイチョウの木。葉っぱが雨とともに空から降ってくる。「この匂い、銀杏です」と友人が言う。「グチャ。ジャリッ」と音が響く。私が何か踏んだようだ。「実を踏んで、その中の銀杏の殻を踏んづけた音ですよ」と友人が教えてくれる。私は今まで銀杏は、硬い殻に入った実が木から落ちてくるものだと信じて疑わなかったので「それっていつから」と聞くと、「えぇ。……」。友人は不思議な顔をする。
山門と仁王像は町指定文化財である。この2つは、正盛院の末寺であった竜光寺にあったが、明治15年、竜光寺が廃寺となったために正盛院に移される。
山門と仁王像がもともとあった場所を探す。草木小学校の西周辺を歩いていると薬師堂を見つける。雨降りの中、稲刈りに出掛けるというおばあさんに出会えたので、話を聞いてみる。「ここにあった山門や仁王さんたちは正盛院に移されたと聞くよ。私が嫁にきたときには、もうなかったよ。薬師堂が建っている場所に古いお寺さんがあってね、昭和25年くらいまで近所の人たちが集まって、芝居や余興を楽しんだよ」と昔を懐かしみ、話してくれる。
別れ際に「雨の中、お仕事大変ですね」と声を掛けると「年を取っても働けるうちはね」と笑顔で私たちに手を振ってくれた。
“実るほど頭を垂れる稲穂かな”
次号に続く。 |