広報あぐい

2017.03.01


広報あぐい トップ » トピックス(3)

幼・保・小・中 一貫教育プロジェクト ~全国へ発信(230)~

【1年1組 宮崎志堂】

僕は「戦争をしてはいけない」と学んでいましたが、今回初めて広島へ行き、以前にも増して「過ちは繰り返してはいけない」という思いが強くなりました。今の日本が平和なのは、戦争で犠牲になった多くの方や、その過去の過ちを反省し二度と戦争を起こさないように語り継いできた方がいるからだと思います。今の僕にできること、今の僕がしなくてはいけないことは、戦争のない平和な世界が永遠に続くことを祈り、今回学んだ戦争の恐ろしさと平和の尊さを次の世代に伝えていくことだと思います。

【1年3組 岩川沙裕】

語り部の方が、戦争中に雑草、麦ごはんなどを食べていたことに衝撃を受け、普段当たり前のように食べているご飯が本当にありがたいと思いました。そして、僕たちが見た原爆ドームは原型をとどめていないがれきの山で、鉄も溶けて過去にあった噴水もなくなっていました。あんなに大きなものが溶けてなくなるほどなので、「その近くにいた人々は…」と考えるだけで胸がいっぱいになります。これからの未来では、多くの人々を苦しめ、悲しませた恐ろしい「核兵器」を絶対に扱ってはいけないと強く感じました。

【1年4組 石川真衣】

広島に原爆が落とされた当時、広島市には市民や軍人など約35万人がいたそうです。インターネットで調べると、広島市ではその年の12月末までに14万人が死亡したといわれていますが、実際には正確な人数が分かっていないと聞き驚きました。今回の体験学習に参加して、命の大切さや尊さを学ぶことができました。また、被爆された方のお話や平和記念式典への参加など、たくさんの貴重な体験をしました。この体験を踏まえて、私たちが今回学んだことを、次の世代に受け継いでいけるようにしていきたいと思います。

【1年4組 關 真菜】

当時のまま残されている原爆ドームは、テレビなどでは見ることのできない中の様子まで見ることができました。また、平和記念資料館では、実際に着ていた服や原爆投下直後の悲惨な様子などが展示されていました。私は現地へ行き、被爆直後の人々の様子や広島の方たちの思いについて学ぶことができました。語り部の方のお話にもあったように、未来に戦争はいりません。私たちは語り部の方々の思いを背負って、戦争のない未来、核兵器のない世界を目指して、次の世代につなげていきたいと思います。

【1年4組 瀬戸山ひなた】

原爆は多くの人の命を奪い、生き残った人にもつらい後遺症を与えました。そして、病気になるだけでなく精神的な被害も受け、今なお苦しみ続けている人々がいます。広島への原爆投下は戦争から起こったことです。原爆投下を防ぐ前に、私たちはまず、戦争をなくすことを考えなければなりません。原爆投下や戦争は人々を苦しめるものであり、二度と起こしてはいけないことなのです。そのことを、次の世代に伝えていくのは私たちです。そして、少しでも多くの人にこれらの怖さを知ってもらいたいと思います。

【1年5組 下山七海】

「爆風や突然のまぶし過ぎるくらいの光、今にも溶けてしまいそうなほどの熱で、その人が誰なのかも分からない。自分の感情までもが奪われた」と語ったのは、語り部の世良豊子さん。私にとって原爆の恐ろしさを痛感する、心に響く一言でした。当時の広島では、世良さんをはじめ、生まれる子どもに被爆による障害が出るのではないかと不安を抱える人が多くいたといいます。原爆はその人に限らず、周りの人の人生や思いまでも狂わせてしまうと知りました。今回広島を訪れ、もう一つの被爆都市の長崎ではどのような悲劇があったのかも調べたいと思いました。

【1年7組 奥山愛梨】

原爆による被害を調べると、その恐ろしさがよく分かりました。爆心地から500m以内にいた方の約90%、500m~1㎞以内にいた方の約60~70%が亡くなっています。原爆ドームや平和記念資料館の資料、語り部の方から聞いたお話の中には、私にとって見たり聞いたりすることがつらくなるものが多くありました。しかし、私たちはそれらから目をそらさずに向き合わなければいけないと思いました。戦争、原爆で亡くなってしまった方の「戦争をしてはいけない」「原爆を使ってはいけない」という強い思いを、未来に伝えていきたいです。

【1年7組 花井瑞歩】

語り部の方の願いは、原爆の恐ろしさを知ってもらい、この世から核をなくすことです。つらい記憶をよみがえらせるため、原爆ドームを撤去すべきだという声もありますが、私は戦争の事実を正しく認識し、二度とこのような惨事を起こしてはならないことを世界に伝えるためにも、残しておくべきだと思います。平和記念資料館には、今の広島からは想像もできない当時の悲惨な様子が残されていました。私はそれらを見て、「二度と戦争は起こしてはならない」「このようなつらい思いをする人を出してはならない」と心から思いました。