広報あぐい

2015.07.15


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春の叙勲受章おめでとうございます

〜まちの話題〜

「小さいころは遊びが中心。生意気なことばかりする典型的なやんちゃ坊主でした」と今も変わらぬ少年のような笑顔で話す鳥居さん。転機が訪れたのは中学3年生の時。やんちゃだった鳥居さんを諭すように、正しく導いてくれた担任の生徒指導に心を打たれ、教員になりたいという想いが強くなりました。

大学を卒業後、晴れて教員となり、知多中学校に赴任。大学まで野球に打ち込んできた鳥居さんですが、新設水泳部の初代顧問となりました。水泳に関しては素人同然でしたが、先輩の先生方から「とことん子どもと勝負せよ」と叱咤(しった)激励され、部活指導にまい進。常に子どもと真剣にぶつかる熱血指導が実を結び、赴任から5年目の昭和46年、48年、49年と知多地方体育大会男子総合優勝を果たしました。「とにかく猪突(ちょとつ)猛進。子どものために一生懸命やりました。素人でもやればできるんだと他の先生にも勇気を与えられたかな」と当時を懐かしんでいました。

鳥居さんは部活動だけに限らず、「子どもの立場に立った授業のあり方」を追求し、実践を積み重ねました。全国小学校道徳研究大会で発表するなど道徳教育の実践者として活躍しました。また、東海市の小中学校生徒指導部の組織充実に努めました。「とにかく若いころは燃えに燃えていました。でも、ちょっと行き過ぎたこともあったなあ」と当時のエピソードを恥ずかしそうに話してくれました。

校長になってからも、常に子どもたちとともに歩む「子どもを中心に据えた教育」の姿勢を貫き、晴雨にかかわらず毎朝、学校周辺の清掃活動、登校してくる子どもたちへのあいさつと交通安全指導を行ってきました。自分の目で学区の様子を知り、地域や保護者の方々との交流を深め、地域と学校のパイプ役として地域の行事にも積極的に参加しました。また、へき地教育の充実と発展にも熱心に取り組みました。常に子どもたちの幸せを追い求める労を惜しまない姿勢が、多方面からの信頼を得て、赴任校では誰もが愛着を持つ“おらが学校”をつくりあげました。

上野中学校を退職後、2期8年間にわたり、阿久比町教育委員会教育長を務めました。家庭と学校・園の強い連携が子どもたちの成長には不可欠という信念のもと、幼保小中一貫教育を推進し、阿久比町の学校教育をはじめ教育行政の振興に尽くしました。教育長を退任してもなお、「常に子どもたちとともにありたい」という心の火は消えず、学区の子どもたちのために毎朝、通学路周辺の清掃活動、登校してくる子どもたちへのあいさつと交通安全指導を続けています。「朝の活動を始めて、40年くらいになるな。継続は力なり。地味でも続けることが大切。力の続く限り続けたい」と話してくれました。

「この栄誉は、私を育て、指導してくれた先輩、同僚、保護者、そして何よりも子どもたちのおかげ。たまたま私が代表していただいたのだと深く感謝しています」と控えめに喜びを話す鳥居さん。“子どもたちのおかげ”という言葉に人柄がにじみ出ていました。

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