広報あぐい

2011.11.01


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ぼくの名前は黒べえ

〜みんなの童話〜

「にゃーにゃー」ないてもだれもこないし、あたりはくらくてさむい。明るいところをさがしてはいでた。お日様の光りにあたったらやたらと、おなかがすいた。
「にゃーにゃー」と、歩いていたらしばふの庭だった。
「あら、かわいいねこちゃんね。でもうちでは、かえないわ」
 そういって家の中へ入っていったおばさんは、ミルクの入ったボールを持ってきて、
「これでも、おのみ」
と、だしてくれた。
 あの時は、本当にうれしかった。
 母さんを思いだした。母さんは、美しい三毛ねこだった。うすぐらいじめじめしたところで、おっぱいを吸ったのをかすかにおぼえている。ぼくのほかに兄と妹がいたような気がする。ぼんやりかすんだ夢のような記憶だ。
 気がついたときには、ぼくのそばに、だれもいなかった。
 ミルクを飲んで少しあったまったぼくは、しばふの庭をはなれた。
 静かな住宅地だったので、人間は、ぼくを見ても「黒ちゃん」とか「黒」と呼ぶだけで追いかけたりしてこなかった。
 ある日、海岸を歩いていると、さんぽをしているおじさんにであった。おじさんは、ポケットから何か出して
「これでも食べるか?」

と、いった。
 ビスケットだった。ぼくに食べ物をくれる人はめったにいない。
(うれしい!)
 次の朝も海岸にいってみた。
 おじさんが、歩いていた。ぼくを見ると、
「黒べえ、こっちへおいで」
そういって、ポケットからキャットフードを出してくれた。
 ぼくは、かんげきした。
 ぼくのためにわざわざキャットフードを、持ってきてくれた。
 それからは、天気のよい日は、海岸に出かけるようにしている。

 おじさんは、ぼくを見ると、
「黒べえ」と呼ぶ。「にゃお、にゃぉ」と寄っていく。一時をすごすと、おじさんは、かえっていく。
 雨がふると、のらねこは悲しい。お宮のえんの下とかお寺の階段は特等席だ。今では、金網のはってあるところもおおい。
 そんな時、かいねこはいいなぁと思う。せっかく特等席までいっても先にボスがいたら、ねこ仲間では、ひきさがるのがきまりだ。
 そんな時は、木のしげったところをさがして雨宿りする。
 ぼくたちのらねこは、毎日食べ物をさがさなければ生きていけない。これは、たいへんなことだ。
 生まれたばかりの頃は、おいしそうな匂いに、近寄っていった。大抵は、おいはらわれたが、
「黒ちゃん、これお食べ」
と、魚のはしや肉の残りをだしてくれる人もいた。食堂のうらとかスーパーのごみ置き場をさがしているうちに、顔みしりや友達ができる。そしてねこ仲間の話がはずむ。今では、どこへ行けば、おいしい食べ物があるか、わかるようになってきた。
 人間の中には、黒ねこはえんぎが悪いと思う人と、えんぎが良いと考える人とがいる。ぼくには、どっちだっていいことだが、人間にきらわれないように、くらしていくことを心がけている。
 たとえば、ごみ置き場のごみ袋をかみ破り、あたり一面ちらかして人間を怒らすようなことは、かしこいねこのすることではない。
 人間のかっている金魚や小鳥のそばにもかしこいねこは近寄らない。こういうことは、ねこ仲間で話あっているうちに、おしえられてきた。
 首輪のないねこが歩いていると
「のらちゃん、おいで」とか
「黒、ごちそうおいとくよ」
などと、声をかけられることもある。友達に、色々おしえてもらって、かしこいねこになっていく。
 のらねこから見れば、かいねこは、ごくらくにいるようなもの。いつも住むところや食べ物がある。もし不足をいうならば、気ままに歩きまわれないことだ。
 ぼくは、今でも海岸にいく。あのおじさんにあいたいから。でもあえない時もある。そんな時、ぼくは海を見てかえる。波の音が「黒べえ」と呼んでいるような気がする。

しろやま会員  かたやまのぶこ