椋原村は現在の役場南部に位置し、大字椋岡の北部地域です。英比谷十六カ村の中で戸数、人口ともにもっとも少ない村でした。
東の村境を英比川が北から南に流れ、川に沿って田が広がり、西側は丘陵地になっていました。村の中央を「名古屋往来道」が通り、民家はこの道路の周辺に集中していました。
村絵図には「名古屋往来道巾一間(1.8m)」と記されています。当時の主要道路だったので、道幅が広くとってありました。
南側の水田は低地のため、大雨になると村全体の水田から水が集中し、大きな被害を受けました。当時の英比川は堤が低いので、大雨が降れば川の水が水田にあふれ、田舟に乗って宮津村まで行くことができたと伝えられています。
角岡村は、役場の南部に位置し、大字椋岡の南部地域です。村の南側を西から東に前田川が流れ、東の村境を流れる英比川に合流しています。
民家は、北部の小高い場所に建ち並び、竹木がよく茂っているため、遠くから眺めると島のようであったと言われていました。畑は、これらの民家を取り囲むようにありました。田は前田川沿いに広がっていました。農閑期には、十数人ほどが黒鍬稼ぎ(土木工事)に出ていました。
この村の活用できる土地は、すべて田畑になっていて、日常生活に必要な薪などは、高岡村や稗之宮村にある飛地の山から得ていました。
次回は「矢口村・高岡村のはなし」です。 |