2021.12.01
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□問い合わせ先 | 政策協働課調査広報係 | TEL (48)1111(内1310・1311) |
端山忠左衛門は、阿久比の植村で育ち、県会議員や国会議員を務めるとともに、産業振興にも携わり、「知多半島の渋沢」としての役目を果たした方です。
端山は弘化2年(1845年)に碧海郡大浜村(現在の碧南市)に生まれ、5歳の時に阿久比村の端山家の養子となりました。蓮慶寺住職佐治恵潭師に漢籍(中国の書物)を学び、画家月耕より歴史画、茶道を習得し、家業は紺屋を営みました。
35歳の時に初代愛知県会議員として知多郡より選出されました。40歳の時に再度県会議員に当選し、その後、南設楽郡長を命ぜられ、のち八名郡長も兼任しました。
明治23年(1890年)、46歳の時に日本で初めての国会が開かれることになり、第1回衆議院選挙に立候補して当選し、阿久比町として第一号の代議士となりました。伊藤博文とも交友があり、大成会の組織に尽力しました。翌年は、濃尾地震のため損壊した県公園犬山城の復興に尽力し、その後、県会議員や、愛知県地方森林会議員、愛知県沿海漁業組合の頭取となり、業界の発展に寄与しました。
39歳の時に東海新聞を発行したほか、56歳の時に知多紡績株式会社を設立し、自ら専務取締役に就任、経営にあたりました。大正4年(1915年)、阿久比の植村で71歳の生涯を閉じました。葬儀は植大の蓮慶寺で盛大に行われました。
右の写真は、端山の三回忌を迎えるに当たり、端山の功績を称え、慕う人々の寄進によって建てられた石碑です。(石碑は植の神明社の裏にあります)また、左の端山の肖像画などは植公民館内にあります。
□主催・問い合わせ先 | 好き好きミュージック(大村) | TEL (48)5686 |
日本に昔からいる「妖怪」たちの話が音楽と歌と語りによる「音楽物語」になりました。大人から子どもまで観て聴いて楽しめるコンサートです。
※新型コロナウイルス感染拡大防止のため、中止する場合があります。
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