
英比谷16カ村
福住村は現在の阿久比町北部に位置する大字福住です。民家は福山川を隔てて北側と南側のやや小高い場所に、神社を中心にして建ち並んでいました。田は川に沿って広がり、畑は丘陵地に開かれ、麦や大豆を多く作っていました。
寛文年間(1661年〜1672年)には、戸数39戸であったのが、文政年間(1818年〜1829年)には、99戸と150年の間に、約3倍に増加しましたが、豊かな農家は2、3戸あるだけで、耕地が少ない農家が多く、農民の生活は決して豊かではありませんでした。農閑期には、遠く三河の山間部へ黒鍬稼ぎ(土木工事)に出掛け、商売を営む者や木綿の仲買をする者もいました。
白沢村は現在の阿久比町最北端に位置する大字白沢です。村全体が谷になっているため、たくさんの河川と雨池があります。草木川が南の村境を西から東に流れ、村のほぼ中央を北から南に流れる英比川に合流しています。
民家は、主として英比川の西側丘陵に集中していました。田は英比川沿いの平たん地と草木川の北側に広がっていましたが、耕地に比べて戸数が多く隣村から田畑を借りて耕作する者もいました。
農閑期には、50人〜60人(2戸に1人の割合)が黒鍬稼ぎに出掛けていました。大正のころまで続いていたとのことです。
次回は「草木村・坂部村のはなし」です。 |