英比の郷は東と西を丘陵で囲まれていました。そのほぼ中央を北から南へ流れる英比川と、そこに流れこむいくつかの支流にそって16の村が形成されていたので「英比谷十六カ村」と呼ばれていました。また、郷全体が英比川とその支流に対する一つの共同体としてまとまっていたので、「英比輪中十六カ村」とも呼ばれていました。
川の流れにそった低地に耕地が広がり、耕地と丘陵のあいだに集落が形成され、英比川とその支流は古くから農民たちに大きな恵みを与え、村々はこの水を利用して農業を営みました。
村の名前は現在の大字と同じ場合が多いのですが、稗之宮は現在の大字阿久比です。卯坂(卯之山と坂部)、椋岡(椋原と角岡)、矢高(矢口と高岡)、植大(植と大古根)は明治17年に合併して両村の1字をとったものです。
19世紀に入ったころの様子を伝える資料として『尾張 行記』『天保の村絵図』があります。これによると戸数は十六カ村併せて1,594戸で、人口は6,889人、1戸あたりの家族の数は平均4.5人でした。
次回は、「横松村・萩村のはなし」です。 |