広報 あぐい
2007.10.01
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公民館だより

 

ココロのこもった絵手紙を贈ろう


日にち 8月22日(水)
場所 町立中央公民館本館

サマーチャレンジスクールの参加者、タイボキッズクラブ、キッズアートクラブの仲間約30人が集まっておじいさん、おばあさんに贈る絵手紙を描きました。

季節の野菜、花、果物などをモチーフに、みんなの気持ちが届くように一生懸命に描きました。1人が3枚〜4枚を描いて1枚は自分のおじいさん・おばあさんに、ほかの手紙は9月の上旬に施設に届けられました。みんなの気持ちが届いたらいいですね。

 
 

寿大学


日にち 9月14日(金)
場所 町立中央公民館本館

元阿久比中学校校長の加古栄さんを講師に迎え「ボケたらあかん!長生きしなはれ」をテーマに講演会を開催しました。

「誰でもだんだんボケてくる。ボケないためには頭を使い、よく歩き、恋をし、よく笑うこと。昔は『親孝行したい時に親はなし』今は『親孝行したくないのに親がいる』世の中変わった」などユーモアたっぷりの話に参加者は耳を傾けていました。

子どもに伝えたい あぐいのむかし(15)

 

ええじゃないか騒動


津島牛頭天王御札降り居留
(「要用記」)

ええじゃないか騒動は、豊かな農民や商人、役人などの屋敷に神仏の御札(おふだ)や仏像が降ってきたのをきっかけに「ええじゃないか。ええじゃないか」とはやし言葉を繰り返し、人々が踊り歩いたというものです。

幕末のペリー来航以来、幕府の支配は急速に弱まりました。各地で倒幕運動が盛り上がり、全国的な凶作や長州征伐によって、米の値段が急激に上昇し、人々の暮らしは苦しくなっていました。このような不安定な情勢の中、三河地方から始まった「ええじゃないか騒動」は東は江戸から西は四国まで広がっていきました。

阿久比でも、慶応3(1867)年10月9日、山廻り役を務める宮津村の舟橋平四郎の門前に津島牛頭天王(ごずてんのう)の御札が降りました。何者かが降らせた訳ですが、舟橋家では御札をまつり、酒やもちなどを供えました。うわさを聞いた人々が参拝と称して押しかけ「ええじゃないか」と、はやしたてながら踊り狂い、にぎわったと伝えられています。

記録は残っていませんが、大古根村の英比(えいび)家にも御札が降ったと伝えられています。

騒動の根底にある「もっといい世の中になってほしい」、「少しでも生活が楽になってほしい」という人々の強い願いが「ええじゃないか騒動」を起こしたのではないかと考えられます。

(『阿久比町誌』参照)



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