郵便局のはなし

昔の郵便局(宮津) |
明治4(1871)年に明治政府は、江戸時代の通信の主力であった飛脚屋に代え、新しく郵便制度を設けました。
知多地方では、明治5(1872)年に亀崎・横須賀・大野に郵便局が開設され、順次ほかの町村にも開設されていきました。
阿久比では明治35(1902)年に「宮津郵便受取所」が開設。その後、明治38(1905)年に「宮津郵便局」、明治42(1909)年に「阿久比郵便局」と名前を変えました。(このころまでは集配をせず、窓口業務だけでした。)
明治41年に始まった電報受付業務は、通常郵便よりも盛んに利用されました。電報以外の郵便物は、亀崎局と岡田局から配達されたのでとても時間がかかりました。
昭和3(1928)年に阿久比郵便局が集配業務を始めると、その年の普通郵便は30万通、配達郵便は約50万通に上りました。当時、阿久比村の人口が1万人未満であったことから考えると、大変な数だと言えます。この数は交通が不便で通信施設が未発達であった阿久比での郵便の重要性を物語っています。
当時は現在と違い、電話交換業務も郵便局が行っていました。阿久比では大正12(1923)年に開局し、開局当時の加入者数は41件という記録が残されています。
(『阿久比町誌』から一部抜粋) |