人口のはなし
人口の推移(国勢調査)
昭和15年 |
8,591人 |
昭和22年 |
11,049人 |
昭和30年 |
12,586人 |
昭和40年 |
13,775人 |
昭和45年 |
18,499人 |
昭和50年 |
20,867人 |
昭和55年 |
20,880人 |
昭和60年 |
23,341人 |
平成17年 |
24,577人 |

建物が建ち始める阿久比宮津特定土地区画整理地内
|
平成18年11月1日、町の人口が25,000人になりました。そこで今回は阿久比町の人口がどのように移り変わってきたかを紹介します。
阿久比の人口の変化には大きく3つの節目がみられます。
- (1)昭和15年〜22年
- 空襲の多い都会から、食糧の豊富な田舎へ疎開してきた人々や戦後の復員、引き揚げにより増加しました。
- (2)昭和40年代
- 阿久比団地、日生白沢団地、富士製鉄団地(現在の宮津団地)、宮津山田など大規模な住宅団地の出現により増加しました。
- 昭和45年には知多半島道路の開通に伴い、阿久比インターチェンジが営業を開始。これにより名古屋市が大変近くなり、阿久比を住宅地として選ぶ人々が増加しました。
- (3)昭和56年〜
- 町北東部に広がる高根台(名鉄東ケ丘団地)への入居が始まり、毎年300人から500人の増加がありました。
- 最近では草木地区をはじめとした区画整理事業により人口が増加してきました。
名古屋から近く、通勤通学に便利なまち、緑豊かな自然の残るまち阿久比は、これからも人口が増え続けることでしょう。 |