

“愛宕山”入口に立つ辻地蔵

愛宕山山頂にあったとされる
「御大典記念碑」
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卯之山の津嶋神社から南に下り、途中の細道から阿久比スポーツ村へ続く道を友人と2人で歩く。木々の葉は紅葉を始める。
分かれ道で小さな“辻地蔵”を見つける。町文化財調査報告書の写真から「愛宕山地蔵尊」であることを確認。
風化して読めないが、高さ50cmほどの小さな地蔵脇には「右 くさぎみち」「左 大のみち」と記されると説明がある。「くさぎみち」の方へ進むと“愛宕山”と呼ばれた山があり、その入口に立つ地蔵なので「愛宕山地蔵尊」と呼ばれるようだ。
病気で亡くなった人を弔うため、昭和初期に造られた地蔵尊。今でも地元の人がさい銭と花を供える。私たちも手を合わせる。
阿久比スポーツ村の東側にあった愛宕山。愛宕山といえば、各地で防火の守護神とする信仰がある。『卯之山村絵図(弘化村絵図)』にも“愛宕社”とあり、信仰の場であったことがうかがえる。この山頂に大正天皇即位を記念して阿久比第二尋常高等小学校(現英比小学校)の運動場を整地。その記念碑が「御大典記念碑」。
記念碑を探す。畑で草刈りをする男性に尋ねた。年を聞くと77歳。
「スポーツ医・科学研究所の近くにきっとあると思うよ。運動場があって、町中の子どもたちが集まって運動会をした覚えがあるよ」
町誌には、運動場が大正4年に整備され、阿久比連合運動会が行われた記録の記述がある。〈あたごの やまの そらはれて のぼる あさひの そらたかく〉連合運動会で歌われた英比小学校応援歌も紹介されている。
運動場があったという形跡は残っていないが、雑木林に立つ記念碑を見つけた。今年は英比小学校が開校100周年を迎えた。100年の中の1ページに刻まれている場所であることには違いない。
「さっきのおじいさんも、運動会でこの辺りを頑張って走っていたんでしょうね。ちなみに僕は走ることには自信がありましたから運動会ではいつも大活躍でした」と友人が自慢げに話す。「僕も陸上部だったからそれなりの活躍だったけどね」。私もさりげなく自慢したが、今年娘の運動会では自らの体力の限界を感じてPTA種目を辞退した。 |