  
                    福住村絵図 
                    (阿久比町誌資料編1村絵図解説書から) 
                    
                    祠がまつられる若宮八幡宮跡 
                    
                    大きな鈴がつり下がった縣神社の拝殿 
                   
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            梅雨空の日曜日の午後、ぶらり旅に出掛けた。今回は福住村を歩いた。 
            絵図には南端から福山川まで道路が延びている。現在の県道名古屋半田線であろう。今年1月には「福住新橋」が開通し、道路幅も広がり多くの車とすれ違う。 
            荒古付近の「若宮八幡宮」を探した。県道から背の高い木が目に付く。その木を目標に進む。 
            小高い丘に2つの祠がまつられている。津島神社と秋葉神社と書かれた札が目に付く。秋葉神社の祠の前には2基の常夜灯が並べられ「福住村中安全」と刻まれている。八幡宮は民家の間に宮跡としてひっそりと残る。 
              (若宮八幡宮は大正元年に縣神社に合祀される。) 
            細道を通り抜け、福山川に突き当たる。川は午前中の雨で増水し、泥水で濁っている。橋を渡り絵図の東西に通じる道を東へ向かう。 
            北側に「縣神社」と書かれた白いのぼりが何本も連なっているのが見えた。絵図に記された「氏神」である。 
            坂道を上る。さらに石段を上る。とても勾配がきつく息が切れる。やっとの思いで縣神社に到着。 
            拝殿の正面には直径30cmくらいの鈴がつり下げられていた。さい銭箱に小銭を投げ、鈴を鳴らしてから願い事をする。(何を願ったかはヒ・ミ・ツ) 
            社の左横には、村の各所から集められた“神”が小さな祠にまつられ一列に並んでいる。 
            そろそろ次の場所へ行こうかと思っていた矢先、突然雨が降り出した。友人と雨宿りをすることにする。さい銭箱横の石段に腰を下ろして雨が上がるのを待つ。静かな場所に2人きり。しゃべることもないのでしばし沈黙が続く。 
              (隣にすてきな人が座っていたら、静かな鎮守の森の中で楽しい会話が弾んだだろうに…。) 
            しばらくして雨が上がる。私はやぶ蚊に2カ所刺され、友人は3カ所も刺される。蒸し暑かったのが、少し涼しくなった。 
            最後に「寺」と記された場所を訪れた。現在の興昌寺である。 
            山門に向かって左の行者堂から、知多四国八十八カ所の創始者の1人、福住村出身の岡戸半蔵像が顔をのぞかせている。にこやかな笑みは「お疲れさん。次回はどこに行くのかね」と声を掛けられているように見えた。  |