
矢口村・高岡村絵図
(阿久比町誌資料編1村絵図解説書から)

箭比神社の森

“おこり”の伝説が残る赤鳥居

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各地区で春祭りが行われ、風に乗って笛や太鼓の祭り囃子が聞こえる日曜日、矢口村・高岡村絵図を見ながら、いつものように友人と2人でぶらり旅に出掛けた。
村絵図解説書には「両村の田畑・雨池・山林などが複雑に入り組んでいるため、それぞれの村単位に村絵図を作成することができず、この両村に限って、1枚の絵図面に描き表わしたものであろう」とある。今回は両地区を歩くことにした。
矢口地区の済乗院辺りを歩いていると、1人の老人に出会う。「どちらへ行かれますか」と尋ねると、「この先のミカン畑へちょっとね」と応えてくれ、しばらく立ち話をする。
村絵図の西側は田や山林が広がっている。今も昔も山林が多いのは変わりがないと老人は言う。南方の正面を指差して「あの森は箭比(やひ)神社がある所だけど、大きなシイの木があってね、わしが小さいじぶん木に登って実を採って食べたよ。うまかったぞ。よその村からも、よう採りに来とったよ」と昔話を聞かせてくれた。
次に矢口村氏神へと向かう。この氏神は先ほど老人が昔を懐かしんでいた箭比神社。
神社は菅原道真の孫雅規が延喜12年(912)に阿久比のニノ宮として開いたと言われている。
神社由来が記された看板に「本殿に向かう階段途中には尾張二代藩主徳川光友公が寄進したと言われる“赤鳥居”がありこれをくぐると“おこり”にかかると言い伝えが残っている」と意味深な表現がある。
桜の花びらでピンク色に染まった石段を社守の男性が掃除をしていた。鳥居のことを聞くと「赤鳥居をくぐると“ばち”が当たると昔から言われているよ」と教えてくれた。
少し石段を上ると、赤い鳥居が見える。鳥居には通り抜けできないようにわらで編んだしめ縄が張られている。友人はあっけらかんと赤鳥居に近づき、しめ縄を手で触る。「勝手に触ると、また縁遠くなるぞ」と冗談を言っていると、私の首に水滴が落ちた。水滴は首から背中に流れる。ぞくぞくと身震いがした。「悪いことが起きませんように」と心の中でつぶやく。(午後からの皐月賞では少しばかりいいことがあった。触らぬ神にたたりなし。)
神社を後にして高岡地区に向かった。次回へつづく。 |