広報 あぐい
2009.03.01
バックナンバーHOMEPDF版 ダウンロードページへ

公民館だより

 

等身大アート


日にち   12月13日、20日(作品製作日)
場所   中央公民館本館

公民館教室のキッズアートクラブで、ダンボールを使った“等身大アート”を作りました。

友達同士で組になりダンボールに寝そべって型を取りました。作品を1月26日から2月20日まで公民館に展示しました。新聞に取り上げられたこともあり、保育園児をはじめたくさんの方が見に来てくれました。

 
 

キルト作品を展示


日にち   2月10日〜27日
場所   中央公民館

東京国際キルトフェスティバルで奨励賞を受賞した太田佳子さんの作品を公民館本館ロビーに展示しました。太田さんは公民館で活動するサークル「キルトサークルてんとうむし」の講師を務めています。

表布、キルト綿、裏布を重ねて縫い仕上げた、縦約1.9m、横約1.6mの大きな作品で、大きさ、色使い、作りの細かさ、圧倒的な存在感に、来館者は足を止めて見入っていました。

子どもに伝えたい あぐいのむかし(26)

 

英比谷十六カ村のはなし

〜その2 横松村・萩村のはなし〜

横松村は現在の阿久比町南東部に位置する大字横松です。集落は丘陵地の縁辺に東西に細長く建ち並び、背後は段丘崖となり、その高度差は約30mもあります。

戸数・人口は文政年間(1818年〜1830年)のころから現在まで、大きな変化はありません。戸数に比べて耕地が少ないので農業以外に多くの大工がいて、彼らは「横松大工」と呼ばれその技術は高く評価されていました。

特に堂宮大工には岸幕家と江原家の2つの家系があり、神社や山車を多く造りました。現在近郷各地に残っている多くの山車は横松村の大工が造ったといわれています。

横松村は英比川の堤防決壊でたびたび水害に見舞われてきましたが、このような技術者の存在と収入が村人の生活の助けとなっていました。

萩村は現在の阿久比町南東部に位置する大字萩です。村の東には海抜30mほどの低位性丘陵が南北に連なり、そのすそ野の微高地と団丘崖面に集落があります。

萩村の戸数・人口も横松村と同様に文政年間のころと大きな変化はありません。耕地の少ない農民が多かったため暮らし向きは楽ではなく、小作人としてほかの村の田畑を借りて耕している者、農閑期には黒鍬稼(くろくわかせ)ぎ(土木工事)や酒屋の杜氏(とうじ)に雇われていく者もいました。

「横松大工に萩左官」といわれるほど農家の二・三男は、左官職を身に付ける者が多かったようです。

次回は「宮津村・板山村のはなし」です。

(参考 『あぐいのあゆみ』、『阿久比町誌資料編一』) 



<<前ページへ ▲目次ページへ 次のページへ>>