広報 あぐい
2005.05.01
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あぐいぶらり旅〜知多四国八十八カ所 弘法参り

シリーズ 阿久比を歩く 3

於大の方

 

「於大の方」の遺髪が分納されている墓所
この地は、久松・松平家葬地として町指定文化財となっている。
  徳川家康の生母「於大の方」は14歳の時、岡崎城主松平広忠に嫁ぎ翌年竹千代(後の家康)を産む。
その後、政略的に離別させられ、坂部城主久松俊勝に再嫁する。
家康が今川氏配下の武将として尾張に出陣の際、坂部城(現在城山公園、町立図書館の周辺)に立ち寄り母と子の再会を果たしたと伝えられている。
慶長5年(1600)関ケ原の合戦で家康が勝利して天下の実権を握った2年後、慶長7年(1602)8月28日京都伏見城で没する。
遺髪が洞雲院の墓所に分納されている。

廻地頭(廻地蔵)

 

町指定文化財『涅槃図』

   

中央が廻地頭が収められている廻地頭厨子

阿久比町で中世から近代にかけて見られる民間信仰のひとつ。
中世にあぐいの地を治めていたといわれる英比丸の徳を敬い、その夫婦の木像を民家に1日ずつ安置して礼拝し、巡回する民間信仰。
現在では行われていないが、戦前までは母屋を新築すると、洞雲院から借り受けた廻地頭を安置して供養を行った。
貸し出した範囲は、阿久比町だけではなく、半田市の乙川や亀崎なども含まれていた。


毎年3月16日に行われる“おせんほ"で飾られる



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