青年芝居

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青年芝居の役者 |
阿久比町の神社には「常舞台」と呼ばれる建物が現在も数多く残っています。
昭和の初期から15年ごろまで祭礼の余興に半田、高浜、名古屋の大須、遠くは京都西陣などから役者を呼び、常舞台で芝居が行われていた記録が残されています。
村芝居は太平洋戦争中、自粛されましたが、戦後になると村の若い衆による青年芝居が爆発的に盛んになり、青年芝居の大会も行われるほどの盛り上がりを見せました。
出し物は時代劇が多く、自分たちで創作したり、実際に名古屋大須へ出向いて本場の芝居を勉強したりしました。どの地区も芸達者な先輩を座長とし、小道具を作ったり、深夜まで稽古を続けたりしました。
青年芝居の稽古場は男女交際の場で、祝儀や声援もうれしいものであったということです。
昭和30年ごろになると、青年団の解散とともに青年芝居は消滅してしまいました。
(『阿久比町誌』参照) |