戦国時代に阿久比で生誕した三兄弟
前回の長男「康元」につづき、今回は次男「康俊」を紹介します。
次男 松平 康俊

三兄弟が生をうけた坂部城跡(現在城山公園) |
弘治元(1555)年父は坂部城主久松俊勝、母は於大の方(伝通院)の次男として誕生。名は勝俊とも呼ばれました。江戸幕府初代将軍徳川家康は異父兄にあたります。
永禄6(1563)年9歳の時、家康の命令により当時敵対関係にあった、駿河国(現静岡県)今川氏の人質になりました。
永禄11(1568)年14歳の時、駿河国が武田信玄の侵攻を受け、今度は甲斐国(現山梨県)に人質として送られました。
元亀元(1570)年の冬、16歳の時、家康の手配で甲斐国から逃れる途中、両足の指を凍傷で失ってしまったと伝えられています。
天正11(1583)年29歳の時、家康より幼少からの忠勤をたたえられ、駿河国の久能城(現静岡県静岡市)を与えられましたが、3年後の天正14(1586)年に33歳の若さで亡くなりました。
康俊の娘婿には水野忠分の子松平勝政が迎えられました。その後、子孫は多古藩主(下総国、現千葉県)となり、旗本にもなりました。
康俊の墓所は静岡県浜松市の西来院にあります。
(一部『お大の方物語』から引用) |