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石への信仰すると二、三日前、またお地蔵様が私の夢枕に現れて「もうお前の家はだいじょうぶだ。これからわしは多くの人を助けたいから、知多新四国の十六番へつれて行ってくれ」と言われたのです。私たち家族を救っていただいくからです。さて、願いのかなった人は再び訪れ、頭巾や座布団、涎掛などを寄進してゆくといわれます。たお方だから、いつまでも私の家にいてもらいたいのですが、おっしゃるとおりにいたしました。どこに十六番があるのか知りませんが、この近くまで来たらお地蔵様が急に軽くなられたので、何事だろう、もしやと思って、このお寺を訪ねたわけです。「仏のお導きというものは必ずあるものです。あなたもこれから信仰を忘れないように。それでは大切におあずかりいたしましょう。」と言って祀られました。これが、この「おもかる地蔵さん」なのです。うと、今も、人生に迷いを生じた人や、商売・進路などいろいろ判断に困った人が訪れ、手を合わせてじっと相談し、悩みを打ち明け、そのあとで、そっと抱き上げてから帰ってゆが少し強かったのですが、抜けるような青空の下に、知多半島の各町は惨さ憺たとした風景をさらしておりました。折れた街道に数人の人たちが集まって話し合っていました。みな髪の毛を乱し、しかめたような皺し深い顔で、隈くのできた眼が赤く濁っておりました。なかには、まだ泥どのついている手足に血のにじむ包帯を巻いている人も見られます。「のう、えらいことだったなあ。木も塀へもほとんど倒れてしまって……。見ろや、どの家私は知多半島ははじめてでございまして、じっとこの話を聞いていた和尚さんは、どうして「おもかる地蔵」と言うのかとい昭和34年9月27日の朝早く、まだ北西の風ここ植大の五ご郷ご社の前を上にあがって北に地じ蔵ぞ菩ぼ薩さは、無仏世界に衆生の苦を代わって三さ途づの川かの賽さの河か原わの連想から石像が盛んに製例えば、岐阜県大だ寧ね寺じの「重お軽か様さ」と呼ばれる三十センチほどの石や、徳と川が家い康やが長な篠し出し陣じに用いた占石、静岡県沼ぬ津づ市しの道ど祖そ神じ石せなどがそれである。受けてくれる仏として中世以降に信仰されたが、作されるようになり、道祖神と同じ扱いを受けたり、本話のような石占いに用いられ、「おもかる地蔵」とか「抱き地蔵」と呼ばれている。なお、植大の神し明め社にあるメンヒル石も、石信仰の一つである。らな いんらいわん つうまうんきくわえすがのんいいもるまつ   ─  いろわま う んん日本人の祖先は、石に対する信仰心が強く、石を神体として祀まったり、石による占ういをしてきた。ゅつ第四十三話鳥居が落ちた153152─ おもかる地蔵 ─ 

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