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明治45年のことでした。福住荒あ古この田村衛え替えたという話は阿久比中の大評判となりました。秘密にしておいたのに、どこでどう聞きつけたのか、織機開きの日には、宮津や植だけではなく、草木や岡田からも大勢の見物人がおしかけて来ました。「なあ、弥吉どん。こういう時は宮津では花火をあげるんじゃないかな。」「そうだよ。旦だ那な衆しの所をチョチョと回ってくれば、十発や二十発は、ポンポンだ。荒古じゃ……。」弥吉と呼ばれた人が、そこまで言った時でした。突然、工場の中でダダダと大きな音がし、それまで人々の視線をさえぎっていた暗幕が取り払われ、ガラス戸まで開け放されました。中には緊張した面持ちの田村さんが立ってい田村さんが、奥さんの弟、草木の清きさんをこっそり使いに出したのは、「やっぱし、日本製はだめだ。」と言って、植の鍛か冶じ屋やの広ひさんが立ち去った後の、次の日のお昼近くになってからでした。次の日の朝、清さんから事情を聞いて、亀崎まで武豊線を使い、福住荒古にやってきた豊田佐吉の姿は、尻しばしょりに股も引ひきをはき、鳥打ちをかむった、どこから見ても商店の御用ききの姿でした。「ちっとも、動きゃへんが。」佐吉の顔を見た田村さんは、思わずむき出しの阿久比弁で叫んでいました。「どれもこれも、すぐ止まってしまうんです。一人で二十台はいい、女でもかまえるはずだと言われたのに、どうなっているんです、こゅうりも 汗だく佐吉ろ ご ん  ちよ  らいうきんうくいょっよし治じ郎ろさんが織機を全部、最新の力り織し機きに入れ豊と田だ佐さ吉きとの約束で、田村さんがあれほどました。おそらく、今日のための舶は来ら品なのでしょう。足にぴったしくっついたグレーのパンタロンは、瘦そ身しの田村さんを一層スマートに見せていました。「シャシャシャ」と規則正しく軽快な織機の合唱が始まりました。織機が止まり始めました。田村さんが、最初の織機を再び動かした時には、三台も四台も止まっていました。二台目を動かした時には、半数近くの織機が止まっていました。あちらをかまえばこちらが止まり、こちらを直せば向こうが止まる。次々に止まってしまう織機の間を走り回る田村さんのパンタロンが、次第に黒く、また黒く油で汚よれていき、見物の人も一人、一人、また一人消えていきました。田村さんが一台一台織機に触れていくと、ところがです。しばらくして、パタパタとそれから田村さんの奮闘が始まりました。139138

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