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陸海軍大演習湯ゆ呑のと、それから土ど瓶びにお茶を入れて……、白は山さ社へ行ってみると、雨に漏ぬれた外が套とのしろ「ああ、そうかそうか。それじゃあな、このこのお盆ぼで持ってお行き。」「へえ、どうもありがとうござんす。すぐお返しにきますから。」徳さんは、また、急いで帰ってまいりました。ままお社やの縁に腰掛けた、立派な髭ひを生やした人を取り囲むようにして、数人の将校たちが膝をついていましたが、その端の二人が徳さんの姿を見つけると、すぐ立ち上がって足早にやってくると、一人がお盆を受取っていき、もう一人は、さりげなく警戒するように徳さんの前に立ちはだかっていました。「お上か、どうぞお召しあがりを……。」「うむ……。」その人は、おいしそうにお茶を飲んでおりました。「ひえーっ。」徳さんはガタガタ震えながら、濡れた地面に土下座してしまいました。まだ震えの止まらない徳さんから話を聞いた清光寺の和尚さんは、その茶道具を寺の宝として大切に保存することにしました。「あの……。」「なんだ。」「あのお方は……。」「これっ、粗相があってはならぬぞ。天子様であらせられる。」「弥や吉きさん、あんた聞かれたかや、田た村むとこに入った機械のこと。すごいのが四十台も入ったんだって。」「ふうん、そいで、どこの機械だか分かったのか。」「それがよう分からん。工場の窓には幕が張ってあるし……。だけど、乙川の石川工場のよりすごいんだそうだ。」「ほお、そいじゃ、きっとドイツ製だ。機械はやっぱしドイツだと言うもんな。」乙川─半田での陸戦を乗馬で督戦された。乙川の若宮から東長根を通り、当町萩の上ノ割でしばらく観戦後、上半田へ移動、午後二時、半田駅から名古屋の大本営へ帰られ、翌4月1日からは三河での大演習に臨まれた。明治政府は、その前年に国民皆兵制を確立し、軍備を増強すると共に、こうした陸海軍大演習を実施し、臨戦体制を急ぐ。日清戦争はその四年後に起きた。島じ沖と武た豊と海上での栗ぐ富と治じ郎ろ宅で休泊、りみうまのけよきちらげ  み んくいうんんみ 翌31日は早朝から、明治天皇は、明治軍艦十一隻せによる海戦をご統監、半田の小お第三十八話織機開きの日福住の豊田佐吉137136─ 清光寺山門 ─23年3月29・30日、篠し

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