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ょうしろ許き役やを命じるという書き付けもあって、この丁て重ちに持ち出された小さな木箱の釘く打ちさしろだんった いぎいんいう んうい りうんくょいんい まう33333めいちついつんいしみょうもりょうょう衛えを名のる大古根村の庄屋でございました。ゅうとした。昔は、薬師如来は蓮れ慶け寺じの後うに、お地蔵様は八幡社の坂を上がった所にお堂があったのだそうです。「私の家は、今は英え比びという、町ではたった一つの姓でございますが、昔は代々新に美み八は兵べお姑しめさまは、常滑からお嫁よにおいでたのだそうですが、よく昔のことを話してくれました。庄屋ですから和紙に何やら書いたものがたくさんありましたが、おじいさまが花火が大好きで、みんな球たの鉢巻きに使ってしまわれたということでした。ええ、昔は火薬の調合も打ち揚げも、全部村の衆でしたものだそうでございます。それで、これだけしか残っておりませぬが、よろしかったらご覧になってください。」差し出された古い桐きの箱には、古文書がいっぱい詰まっており、読んでいくうちに、「新美八兵衛、安あ政せ4年12月、苗み字じ帯た刀とを許神と書かれた伊勢神宮の神札などがまかれました。多くは富豪の家の前でしたが、村人たちは「お札ふが降った」とその家の前に集まり、す」と書かれた代官所の差さ紙がもありました。「お姑さまに聞いた話なのですがね、庭の大石はお代官様のお駕か籠ごを置く石だったそうで、今は沓く脱ぬぎ石に使っておりますが、この間も庭師さんが、これなら十何人も靴くが置けるとびっくりしていましたよ。……はい、お正月には、村中の人が全部お祝いにおいでたし、おこもさんが大勢集まってきたので、屋敷の外へ蓆むを敷いて、お神み酒きやご馳ち走そを出したもので、それはそれは、大変なにぎわいでございましたそうな……。」言葉や、幕末に黒船を追い払うため海か岸が守ま裁さ老婦人の家柄の高さが分かります。「私の家は神し道どでございます。そんせいかどうかは分かりませんが、ご一新の前に神さんのお札が降りましたそうな……。」その家が出した酒を飲みご馳走を食べて、終日「ええじゃないか、ええじゃないか」と踊り歩いたといいます。老婦人の家が神道になったのは、このお札が降ったことによるのかも知れません。「神道の家の私が、このお堂のお守りをすることになったのは、家が近いからでしょうかね。毎日お掃除をさせていただいて、仲のよい人たちと御詠歌を唱えたり、おしゃべりをしたり、お茶をいただいたり、とても楽しうございます。……ああ、そう言えば、このお薬師さんには、願がをかけた人が納めていった物がありましてね、前に神主さんに見ていただいたら、大切な物だからしっかりお守りなさいと言われましたが…。」れた蓋ふには「奉書写大乗妙典」裏には「文化十三年丙子冬十月八日、大白」と墨書され、箱の中には、法ほ華け経き全巻を古文書の中には、尾張藩主からのおほめの幕末のころ、知多半島の各地に、天て照し皇こ太た三益菅原文斐敬133132

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