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ちばなょうょくおりょうょうょく文ぶ政せ9年の秋のことでした。ゅう「九き皐こどのはご在宅かの……。」「おお、これは久く村の楚そ山ざどのか。遠いところをようおいでくだされた。ささ、まずはお掛けくだされ。あ、これ、だれぞおすすぎを持って来ぬか……。」「いやいや、お構いくださるな。勝手知ったこの家ゆえ、自分で井戸端で洗ってまいりまするわい。」「ははは。それではご随意に……。」九皐と呼ばれた草木庵大た巢そは、草木村の豪農平ひ井い文ぶ右う衛え門もの家に生まれ、熱あ田たの高た橋は家けへ養子に入って橘た屋や弥や四し郎ろと名のって商業に段と風雅な……。その日が待たれまするなあ。」「ところで楚山どの。そなたさまとは『鳥の道』をごいっしょに編ませていただきましたが、お互いにこのような楽しい日々を送ることができるのも、みな塊翁さまのご恩でござりまするなあ。」「さよう、さよう。塊翁さまは士し朗ろ宗匠の直系で、尾張俳は諧か育ての親お御ご様でござる。ことにこの阿久比谷はご出生の地ゆえ、ご門弟衆も多く、その盛んなこと、ご領内随一でござる。」「先ごろ、店へ顔を出しました折り、ご挨拶にまかり出ましたが、殊のほかのお喜びで、いろいろと四よ方も山やのお話が出ました。」「もう六十をいくつかお越えなされたと思うが、ご健固でおられましたか。」「はい。お元気のようにはお見受けいたしましたが、今までになく思い出話が多く、この村をなつかしがられておられましたゆえ、なん水す・山月、坂部の梅士たちに村の柳風も加え鶴か庵あ竹ち有ゆと号されて、暁台・士朗両宗匠の薫く陶とを受けられ、今は、江戸・大阪は申すに及精を出したが、後継ぎが成人すると、さっさと隠居して、実家の近くに庵いを構えて、阿久比谷の句友と歓談することを楽しみとする風流な日々を送っていました。は一い樹じ庵あ楚そ山ざと号し、互いに無二の句友と、数日もおかずに行き来する間柄なのです。楚山は例によって気さくに語りかけます。「明春は、塊か翁おさまの師、暁ぎ台だ宗そ匠しの三十五回忌になりまするなあ……。」「さよう、時の過ぐるは速いものでござる。わしも、板山の旭き鳥ち、福住の真し玉ぎ、横松の国こて追善句会をにぎやかに興行したいと思うている。そなたさまにはぜひ点て者じとしてご臨席を乞こいたいものじゃ。すでに題を『あら礎』と決めておりまするよ。」「ほう、『あら礎』とのう……、これはまた一となく気になり申した。塊翁さまは、この村第一の名門の出で、ご城下へ出られてより大だ今日訪れたのは久村の内な藤と伝で兵べ衛えで、かれいっぷくの茶をうまそうに喫きし終わると、第三十四話草木庵の主人125まいいやうううくんくんいうんんらつかし いうんゃいんく333ういいうん いんう っんんゅち いうん124

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