若者組合ぞきょうぎわちも3333333らじけんつ3んつ33うゃ ねお いんゅんんう 声が、あたりの山や谷にこだまします。「サンゲ、サンゲ、六根清浄。」老人が再び声を高めます。「お山は八大金こ剛ご道場。」若者たちの一団は、両手の指をしっかりと胸もとで組んで、その後に続きます。「お山は八大金剛道場……。」老人が吹きならすホラ貝の音が、ブォー・ブォーとあたりを震わせました。この一団は、幾度も叫びを繰り返しながら行進を続けます。そして、谷のため池のほとりに着くと、老先達はその歩みを止めました。初夏の池の水は、周りの木立の影を汀みに映しながら、冷ひんやりと澄みきっておりました。先達の老人は、若者たちが横一列に並ぶのを見すますと、やおら池を背に中央へ進み出て、ほとばしるような声で呪じ文もを唱え、いくつかの印いを結び、力強く腕を振るって九く字じを切ると、さっと自分の背にさした御ご幣へを抜き胸まで水につかった人々が一心に唱えるサンゲ、サンゲ……の大合唱で、池の水は細かい波を立てておりました。それから十日ほど後のことでしょうか。板山の街道で行き合った老人たちが、声高にしゃべり合っていました。「のう、大お峯み参りの若い衆たちは、もうどの辺まで行ったことかのう。」「そうさなあ、もうかれこれ洞ほ辻つにかかっているころか。」「一週間もおこもりやみそぎの修行をして行ったから、元気に登っとるだろう。」「だがの、あの『西の覗の』の行ぎには、肝きをつぶすだろうて……。」「まあ、それもええ経験だわさ。これでみんな一人前になって帰ってくるんだ。家うのばあさんも、また今年もまたいでもらうんだと待っとるわい。」取り、体をこわばらせて立ち並ぶ若者たちの上にさっさっと幾度も打ち振ります。と向きを変えて、ずぶずぶと池の中へ入っていきます。若者たちも、いっせいにその後へ続きます。そして、再び御幣を背首にさすと、くるりや大家の離れなどに泊まり込んで、先輩から一人前の村民・農民となるための知識を教えられた。当時は、祭礼はじめ村の大きな行事の遂行に若衆の力が大きく寄与し、村民の期待も大きかった。しかし、時によると、若さゆえの脱線や村制への反抗もあったので、藩からの注意もあって、若衆組合に厳しいきまりが作られるようになり、古文書に残されている。組合に入って一人前の若者と認められるためには、本話の「大峯参り」などのようなつらい行事に参加することが必要で、各村ほとんどが実施しており、写真の「垢こ離り行ぎ者じ像ぞ」の建つ卯坂の下之池のようなみそぎの池や、先せ達だ(指導者)の家・修行堂に祀まられた行者像が残っており、大峯参りは大正のころまで残っていた。なお山岳信仰は今も御お嶽た参りに見ることができる。ょう江戸時代の男子は数え歳十五歳になると若い衆の仲間に入り、村によっては、若者は夜間若衆小屋113112─ 下之池行者像 ─
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