しろ伊い勢せ様や津つ島し様の御父上に当たられる熊く野の権閣か寺じをお建てになったころのことだが、済さ乗じ院いのご住職様が、仏様へのお経が済んで、おょう元げ禄ろのころ、尾張の国のお殿様光み友と公がご領こらいさまが言うには、オコリという病いで、一度かかると何度も出るそうだ……。さてはおまえも、権ご現げ様の朱あ鳥と居いをくぐったな。」「うん、一お昨つ日い行ったが、それでオコリにかかるなんて、ばかな……。」「ばかなという言いぐさがあるかえ、このバチ当たりめが。あのお社やの神様はな、もったいなくも、お現様だぞ。そもそもこのお社が建てられたわけというと、京都で室む町ま将軍足あ利か義よ満み公が金き部屋でいっぷくしておられるうちに、お疲れが出たのか、つい、うとうとっとされた……。」なにしろ、仲矢口でも物知りと自認する甚兵衛さのことですから、お社の履歴を縦板に水を流すように話し始めました。─胸までたれた真っ白なひげの老ろ翁おが現にかなった地に違いないから、立派なお宮をお建てするように、鳥居は赤いのがよいと仰せられて、お手もと金をたくさんお下くしになられた。─「そういう、ありがたあいお社の、しかもお殿様が寄付なさった赤い鳥居を、わしら下々の者が大威張りでくぐれば、ばちが当たるのはあたりまえのこった……。」さて、伝六さのオコリ病いは大したことなくて済んだのですが、それからしばらくして今度は火が出て村中は大騒ぎ。それでも、みんなが駆けつけてくれて、丸焼けだけはまぬがれ、数少ない家具・衣類はほとんど運び出すことができましたが、伝六さは、うち続く災難にガックリしてしまいました。彼に付き添ってお詫びの参拝をしてやったのですから、さすがの甚兵衛さも、今度は鳥居は持ち出せません。そこで、占いばあさん豆3がお嫌いだと言うのです。どうしてなのかわれて、わしは熊野の神である。末永くこの矢口の里と寺を守ってやろうと言われた。目がさめたご住職は、早速ここへ祠ほをお祀まりされたのが、このお社の初まりだ。ところが、内を巡視中、その祠の前で休憩をなさったが、あたりを見回されると、時ならぬ松ま茸たがびっしり生えている。ああ、ここは神の思し召しに伺ってもらうようすすめます。その理由は分かりませんが、神様の好かぬそ3ら豆を伝六が作ったので、神様がお怒りになっているというご託た宣せでした。そう言えば、実は伝六さは、珍しいからと隣村の親類からそら豆の種をもらってきて畑へまき、みんなに自慢していたのです。とです。人々のお願いをよくかなえてくださるかわりに、罰もしっかりお与えになるというわけで、伝六さは早速、畑のそら豆の苗を一本残らず引っこ抜いてしまいました。人々は、赤い鳥居はくぐらないで別の道を通るようにし、また、畑でそら豆を作ることだけはご遠慮しようということになったといいます。しかし、その結果は、なんと、神様はそらとにかく、お徳の高い神様がおっしゃるこさて、それからというものは、この地区の 333 333火事騒ぎ333 33くんだ 33 ううっけんくいくんつもろちしがしつんまま とかんんりつ333101100
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