江戸時代の戸数・人口の増加第二十六話かだたいぎわ手でを打ち、何度も深々としわ大昔、宮津は知多の海が深く入り込んだ浜辺の村でした。村人たちは、穏やかな浜辺へ出て、男は小魚を捕え、女・子供は貝や藻もを拾っておりまところがその流れ物は、実になんとも奇妙なものでした。それは、川や沼のほとりに生えている葦あが三束ほど筏いのように組まれて、その中央には、御ご幣へが一本の葦を背負って、まるで帆のように立てられていました。よく見ると、葦の中には、金紙の帯をしたお札らしきものも包み込まれているようです。村人たちは、みんなを呼び集めて、額ひを寄せ合い、あれはなんだろうと首をひねりましたが、だれにも分かりません。とにかく、人の手で作られた神様と関係がありそうなもの、そうだとすれば、うっかり手でした。それら豊かな獲物が毎日の食卓をにぎやかにしてくれるからです。「おいおい、あれはなんだろうな……。」一人の男が、汀みを指さしました。着きました。多くは、流木だったり海藻だったりして、みな、人々の日々の暮らしに役立ってきました。だから人々は、なんとなくそんな気持ちでその方向へ目をやりました。も触れようものなら、どんなたたりがあるかしれない。……女・子供の中には、あとずさ「ああ、これこれ、皆の衆。何をそこでぼんやりと立っておるのじゃ。岸辺へは、ときどきいろいろなものが流れりして、引き上げてある小舟の陰から、おそるおそる目を光らせている者もいました。まもなく、知らせを受けた村む長おの老人があたふたとやって来ました。そして、その漂流物を一目見るや、砂浜へペタリと座って、うやうやしく柏か拝礼を始めたので、取り囲んでいる人々は、ますます目をパチクリさせました。白沢 卯之山 寛文村々覚え書き(一六七一年刊、◦印を付す)と尾張徇行記(一八二二年刊、△印を付す)で、約百五十年前の当町内各部落の戸数・人口を比較してみると、次のとおりである。人 ◦41戸242人 △192戸853人 戸302人 坂部 椋原 △104戸416人 ◦32戸208人 ◦63戸417人 △135戸622人 △103戸468人 ◦15戸98人 草木 稗之宮 戸155人 ◦72戸399人 ◦68戸538△77戸336人◦70戸532人 ◦45△25戸◦706戸4475人(一戸6.3人)△1594戸6889人(一戸4.3人)矢口 角岡 大古根 板山 萩 ◦42戸213人 △75戸293人 ◦64戸369人 △144戸593人 ◦27戸207人 △172戸745人 ◦37戸210人 △68戸302人 ◦25戸149人 △39△109戸444人 ◦35戸177人 △60戸246人 ◦39戸232人 △112戸494人 高岡 横松 宮津 福住 合計植 979699戸433人 80戸369人 31戸182人 120人 しい さら みよし様 △ △◦
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