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日 照 りがたゃく杓しの底に穴をあけたのを持って、安あ楽ら寺じへ和お尚しさんが地蔵堂の扉とを開けて、お祈りを三み河かや四よ日か市いの方からもお参りに来て、穴のょうびらゃく泉せ寺じの法印さんを頼んで、ていねいにご祈祷うくんちっわ    天白地蔵んくらい─   んんくく333くう   しかし、庄屋の杢左衛門さんだけは、やせおとろえた円戒さんが、よろめきながら一人とぼとぼと歩み去って行くのを、黙っていつまでも見送っていました。今年の夏にひどい日照りがあったことも、興昌寺の円戒さんが寺から姿を消してしまったことも忘れられて、福住の里の田には、一面に黄金色の穂が重い頭を垂れていました。ところが、大変な事が起こり始めたのです。不思議な熱病で村人がバタバタと倒れます。薬もまじないも効きき目がなく、病人は次々と増えていくばかりです。─人々は今さらのように神面のたたりを思い知りました。「円戒様に申しわけのないことをお願いしてしもうた……。」村人たちは、おそるおそる村の鎮守県あ神社にお納めしてある神面にお詫わびをし、椋む原は村平へ板山の集会所の前で、おばあさんたちの大きな声が聞こえてきました。「わしゃあ、耳が遠くなってしもうてのう、家の嫁がわしの悪口を言っとっても、ちっとも聞こえんで、くやしくてしょうがないがえ。」「あんたのとこのお嫁さはええ人で、おまはんの悪口など言わしゃる人じゃないわえ。たとえ言われたとしても、耳が聞こえにゃ、かえっていいじゃないかえ……。」「おまはんはよう聞こえるだから、そんなこと言っとるだが、わしの身にもなってみなはれ。」「わしものう、耳が遠なったことがあったけど、天て白ぱ地じ蔵ぞさんにお参りさしてもらったら、をしてもらいました。に祀ることにしましたが、この面は、いつのころからか、「かわずの面」と呼ばれるようになったといいます。よう聞こえるようになった。おまはんも、柄ひ行ってお参りしたがええがの。」穴をあけたのを一本と、大きな巾き着ちにお供えの米を詰めて、安楽寺へ行きました。し、「さあ、その柄杓でようく耳をなでて、お地蔵様の前に置きなされ。きっとお地蔵様がかなえてくださるからな。一週間、毎日お参りに来なさるがいい。」七日間お参りしました。七日目に耳をなでると、柄杓の穴からスーッと風が入ってきたような気がしました。そしてそれからは、昔のように耳がよく聞こえるようになりました。そして、その神宝を模した翁の面を興昌寺おばあさんは大喜びで、早速新しい柄杓におばあさんは、毎日新しい柄杓を持って、明治・大正のころまでは、耳の遠い人が、けば、農民の死活につながるため、水争いが絶えないことになる。愛知用水ができるまでは、神仏に祈るより仕方がないわけだが、元来、雨乞い神事は帝王のもので、各地の伝説には、一般庶民の主宰する神事には利り益やと共にたたりがあるとするものが多い。この説話は、由来書より八十年ほど前の事に設定した。知多半島はなだらかな丘陵地で、平地や大川に恵まれないため、谷こ頭とのため池に頼る無理な稲作を余儀なくされた。したがって日照りが続第二十五話9392─ かわずの面 ── 県 神 社 ─

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